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シティポップのジャケットに「椰子の木」はどれくらい写ってる?機械学習で解析してみる

80年代の「夏」をデータで読み解いてみる

漫画家のとり・みき先生が、80年代の音楽に関連してTwitterで「いわゆるシティポップスもフュージョンも"夏"が商品だった時代」とつぶやいておられました。

一方2022年は日本各地で観測史上最も早い梅雨明けを記録し、6月だというのに40℃を超えたり、熱中症警戒アラートが出される日が続くなど、「夏」は「商品」というよりも、地球規模の気候「危機」の象徴のような側面が強まってきているように感じます。

当研究室でも気象庁データから東京都の各年の「8月」の平均最高気温・平均湿度だけを抜き出し、長期推移グラフを描いてみました。

80年代は温暖化の影響が出始めた頃だったのかと思っていたのですがむしろ逆で、1980年の記録的冷夏の影響もありますが、80年代は比較的カラッとした夏だったように見えます。

80年代はむしろ暑さが落ち着いていた時代で、直近の傾向は危険な上昇カーブを描いています。

それが今や猛暑日が続き、室内でもエアコンを使用しないでいると命に関わると言われるわけですから、わずか40年で隔世の感がありますね。

シティポップと「椰子の木」を画像解析してみる

さて、冒頭で引用させていただいた、とり・みき先生の「いわゆるシティポップスもフュージョンも"夏"が商品だった時代」というツイートを読んだ時に、何かが私の意識のへりを打ちました。

たしかにこの時代のある種のポピュラー音楽が表象していたイメージには、「椰子の木」がやたらと含まれている印象があるのです。

たとえば山下達郎さん「FOR YOU」(1982年)、杏里さん「Timely!!」(1983年)、大瀧詠一さん「A LONG VACATION」(1981年)などがすぐに思い浮かびます。

そこでこの「80年代シティポップオリジナル=椰子の木」仮説を定量的に検証してみたくなり、Pythonによる機械学習を勉強して、大量の画像から「椰子の木」だけを物体検出するコードをPythonで作ってみました。

まず教師データとしてGoogle画像検索から「椰子の木」の画像を100枚ほど取得し、これをVoTTで一枚一枚地道に「ここに椰子の木が写っていますよ」と機械にアノテーションして教えていきます。

このデータをYOLOv5用のデータに変換し、自作学習データセットとしてYOLOv5に学習させます(要数時間)。

すると学習モデルの重みファイルが生成されます。

この重みファイルを使った検出テストとして、山下達郎さんや杏里さんのアルバムジャケットにYOYOv5で物体検出をかけてみます。オレンジ色の枠で囲まれている部分が、機械学習の結果椰子の木と判定された物体です。

山下達郎さん「FOR YOU」1982年
杏里さん「Timely!!」1983年
大瀧詠一さん「A LONG VACATION」1981年
石黒ケイさん「Yokohama Ragtime」1982年

結果は、鈴木英人さんのイラストである達郎さんの「FOR YOU」からも、写真が使われている杏里さんの「TIMELY!!」からも、大瀧詠一さん「A LONG VACATION」の背景イラストや、石黒ケイさんの「Yokohama Ragtime」からも、ある程度「椰子の木」が検出できました!

いずれも本当に素晴らしいアルバムですよね。

(ちなみに椰子の木はデフォルトの学習済みモデルを使ってもまったく検出されません。クラスリストのファイルを覗くと、そもそも「木」が検出対象になっていないようです。)

ここまで来ればあとは大量の画像を機械が高速で解析してくれます。

試しにGoogle画像検索で「シティポップ アルバム ジャケット」で検索して出てくる画像300件をPythonでスクレイピングして、それらの画像に物体検出をかけてみました。

上記はごく一部の画像ですが、大量に椰子の木が検出されます…!

とんどん椰子の木が検出されます…!

あとは「FOR YOU」の手前の低木のように合致度の低い物体を除外したり、学習用の椰子の木のアノテーションデータの枚数を増やしたりすれば、もう少し精度が上がるでしょう。

またそもそものデータ収集上の課題としては、Google画像検索では、どうしてもアルバムのジャケット以外の写真が混じってくる(Tシャツなど)といったことや、当時のアルバムではなく、近年制作されたオムニバス的なアルバムをどうフィルタリングして除外するか、といったことを考える必要がありますね。

特に近年の世界的なシティポップブームの中で再生産されているイラストなどは、当時の実態以上に「椰子の木」が強調されてしまっている可能性もあります。

いっぽうで「世界的なシティポップブームの中で椰子の木のイメージが再生産されている」ということがある程度歴史的事実と言えるとすれば、そうしたプロセス自体を分析するのならば無理して除外することもないのかもしれません。

なぜ80年代の日本に「椰子の木」が現れたのか?

さて、そもそもなぜこれらのアルバムジャケットに「椰子の木」がアイコニックに使われているのかは、おそらく60~70年代にアメリカ西海岸から発信されていたウェストコースト・サウンドが背景にあるように思えますが、これについては美術史的な観点からも考察が必要でしょう。

ちなみにハワイを拠点に活動するGreenwoodというアーティストさんが、達郎さんの「Sparkle」をめちゃめちゃいい感じで英語でカバーされています。

このカバーソングのリリースは1985年とのことなので、非常に早い段階で、達郎さんのサウンドが、椰子の木の本場である南国へ逆輸入(?)されたことになりますね。

80年代の文化的表象における椰子の木の頻出については、当時の事情を知る方からは、「1980年前後のトロピカルドリンクのブームも絡んでいるのかも」との示唆をいただきました。

トロピカルブームについてはドリンクのみならず広範な生活領域にまで及んでいたようです。

その方によれば、バイトしていた白馬の高原ペンションでもディスコを併設しており、そのロゴには(高原なのに)椰子の木が入っていたといいます。

また別の当時を知る方からは、79年にアメリカで大ヒットしたルパート・ホルムズ「エスケイプ」の存在を教えていただきました。たしかにサビでめっちゃ「もしあなたがピニャコラーダを好きならば」って歌ってます。これは「どんなカクテルなんだろう…」と思わずにはいられません。

いずれにしても日本の80年代は「夏」が非常に(シティポップだけど)牧歌的に感じらていた時代のような気がします。

令和の過酷な夏を生きる私たちは、水分補給を怠らずに過ごしましょう!

それでは聴いてください、杉山清貴&オメガトライブの1985年の曲「ふたりの夏物語 -NEVER ENDING SUMMER」。

以上、徒然研究室でした。


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