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夫と子供と私の話

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もうこの世にいない夫と、これからもこの世で生きていく子供と私の話。 これを書く事は自分の救いになるだろうか、ならないだろうか。
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夫と子供と私の話⑫

夫と子供と私の話⑫

我々が友人達にお願いした事は主に3つ。
・外出の補助(できれば車で)
・通院で帰りが遅い時の保育園のお迎え
・土日など保育園がない日の子供の遊び相手

どれも育児と看護の同時並行による困難から出てきたお願いだった。
元気いっぱいの4歳児と超末期のがん患者の相性は水と油で、それなのにどちらも非常に手がかかる。
「そんな所でタイミング合わせてくるのかい」と言いたくなることの連続で、物理的にキャパオーバ

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夫と子供と私の話⑪

夫と子供と私の話⑪

目まぐるしく環境が変わる中、子供がその変化に気付かない筈がない。

急に夜中に病院に連れて行かれ、痩せて小さくなったお父さんは不思議な乗り物(車椅子)に乗るようになり、リビングにあった自分のスペースが追いやられ。

彼女だって当然不安だったろうに、私は夫と自分のしんどさでいっぱいいっぱいだった。
こういう事は通り過ぎた今でこそ思い至るけど、この時はその不安に全然気付いてやれてなかった。
ニコニコし

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夫と子供と私の話⑩

夫と子供と私の話⑩

在宅看護生活は予想通りというか、予想を超えてしんどかった。

そもそも、それまでの生活(家事全般、育児ほぼ全般、あと仕事)ですでに私の小皿キャパはギリギリだった。
そんな限界ギリギリの中、更に末期のがん患者の心身ケア労働までというのはもう完全にキャパオーバーで、どっちかというと私が先に死にそうだった。

それでもまだ平日は保育園があるので何とか凌げた。
いよいよ無理だと根を上げたのは、夫が帰って来

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夫と子供と私の話⑨

夫と子供と私の話⑨

お前の思う「俺の在り方」なんて、ただの押し付けだ
俺に幻想を押し付けるな

夫にそう言われたみたいな気持ちだった。
申し訳なく、恥ずかしく、自分が厭らしくてたまらないような、そんな気持ちだった。

新しい主治医との話の中での「余命を知るのは怖い。自分だってただの弱い人間だから」という言葉は、間違いなく私に向けて発せられたものだった。

ごめんなさい、私は何も分かっていなかった

そう思いながら、晩

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夫と子供と私の話⑧

夫と子供と私の話⑧

去年⑦書いた時からは全く想像もつかない形で毎日が過ぎている。
色々やばい。家も仕事も子供も私自身も、なんかもう色々。
まだ全然余裕ないけど、こちらも書いておかないときっと忘れていってしまうし、何よりどんなに余裕なくても、私のこの悲しい気持ちは無くならないのだ。





怒涛の受け入れ準備を済ませ、夫を家に連れて帰る日が来た。
前の晩は精神科で処方してもらった睡眠導入剤を飲んでも効か

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夫と子供と私の話⑦

夫と子供と私の話⑦

私たちはよく話をする夫婦だった。
喧嘩も多かったが、その後のフォローは話し合いで解決してきたし、仲のいい時もお互いの話を聞くのが好きだった。
夫もだけど、私がとにかく話好きなんだと思う。

話を聞いてくれる人がいない毎日は寂しい。

主治医から余命と延命措置の話を聞いてからというもの、私はいつ夫にその事を伝えるべきかで頭の中がいっぱいになっていた。

夫は自分でなんでも決める。
人に指図されるのが

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夫と子供と私の話⑥

夫と子供と私の話⑥

あまり眠れないまま翌日を迎えた。

子供を母に託し、朝から病院に向かう。
その日は治療の合間に夫の家族と主治医の面談とソーシャルワーカーとの打ち合わせ、そして私の精神科のカウンセリングがあった。

夫がかかっていた病院にはがん患者の為の精神科があり、夫だけでなく家族である私もまた患者として月に一度カウンセリングを受けていた。
私にとってカウンセリングの時間は自分を取り戻す為に必要で、この時間が

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夫と子供と私の話⑤

夫と子供と私の話⑤

およそ2年半前に告知を受けてからこちら、医師から余命の話をされたのはその時が初めてだった。

「これから始める予定の抗がん剤が効いたとしても、長くて1、2カ月になると思う」

えっ?

今なんて?

いちにかげつ?

あといちにかげつであのひとしぬの?

思っていた以上に短くて、頭の回転が止まりそうだった。

信じられない。
つい数ヶ月前にアフリカに行ってたあの人。
梅雨入り前、石垣島に家族で行っ

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夫と子供と私の話④

夫と子供と私の話④

病院からの着信に、心拍数が上がる。

こわごわ出ると

ご主人がベッドから転倒し、頭を打ちました。今は意識は戻りましたがさっきまで血圧が下がっていたので今から来れますか?

と。

私はそんな時にも「えっ、めんどくさい」が最初に来てしまい、電話先の看護師さんに「えっと、今から子供を寝かしつけたいんですけど…」と、あちらにしてみたら「知らんがな」以外にない返しをしてしまった。
常々自覚はしているけど

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夫と子供と私の話③

夫と子供と私の話③

子供の誕生日の数日後、夫の入院日が決まった。

出先で倒れ込んでしまった事はその後もあった。
その時は通りすがりの人に助けてもらい難を逃れたが、夫はもう自力では起き上がれない位筋力も落ちていた。
気が付けばかなり痩せて、いつも着ていたジャケットが少し大きく感じられた。

夫の外出には杖は欠かせなくなり、通勤にはタクシーを使うようになった。

「こんな贅沢してたら電車通勤に戻れなくなるかな」と不安そ

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夫と子供と私の話②

夫と子供と私の話②

なんとも言えない緊張感のある日常から少しでも解放されたくて、久しぶりに里帰りする事にした。

すぐに寝てしまう夫を置いて1週間も家を空ける事に不安が無いわけではなかったけど、私の肉体と精神もかなり追い込まれていたので、ここらで息抜きをする必要があった。

夫本人もすぐに寝てしまう自分に不安が無いわけではない感じだったけど、「どうせだったら1人で韓国でも行こうかな」と案外呑気なものだった。

旅行好

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夫と子供と私の話①

夫と子供と私の話①

夫の体調悪化のスピードが上がり出したのは梅雨入りしてすぐの頃だった。

去年の梅雨は始まった途端に終わってしまってあっけなかったけど今年はどうなんだろう、
夏休みに行くフィンランドの宿泊先決めなくちゃね、今回は現地ガイドを頼んでみようか。

そんな話を2人でするのだけど、夫が話の途中で寝てしまう。

というか、椅子に座ると寝てしまう。
休日なんかはそれで1日が終わる。
子供を公園に連れて行ってほし

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夫と子供と私の話

夫と子供と私の話

先々月、夫が亡くなった。
告知から2年7か月、43歳だった。
私が36歳最後の日に亡くなった。

闘病(この言い回しは好きではない)、最後の日々、家族葬から会社規模のお別れ会、そしてその後の生活。
夫と子供と私の話をしたい。

どんな風に書き進めていくのかまだ何も考えていないけど、話したい所から遡って話したい事を書いてみます。