ソーラン節は、肩こりに効く。従姉と二人暮らしをしていたころ、私たちは夜な夜な河原に出かけて汗だくになるまで南中ソーランを踊っていた。南中ソーランは運動会のダンスなどでよく使われている、北海道の民謡歌手の伊藤多喜雄氏によってアップテンポにアレンジされたソーラン節である。腕を振り上げたり素早く腰を落としたりと、デスクワークではほとんど動かさない筋肉をこれでもかとばかりに使う踊りだ。その解放感と高揚感に浮かれて、私たちは毎晩のように踊り狂った。初めこそ筋肉痛に見舞われたものの、慣れれば慣れるほど身体は軽くなっていった。
　ほどなくして部屋にチャタテムシの集団が現れるようになり、虫嫌いの従姉と離れて暮らすことになった。私はソーラン節からも遠ざかり、再び肩が凝るようになった。こっそりと新居で踊ってみたが隣にも下にも人が住んでいるため、忍びの訓練のように足先に神経を集中させ、体重のかけ方も慎重にしなくてはならない。従姉とのびのび踊った日々が恋しかった。
　思いきり踊ることができずに悶々としていたある日、早朝当番が回ってきた。早朝当番は他の社員よりも一時間早く出社して、始業準備をする。業者さんを出迎えるために会社の鍵を開けて、ゴミ箱を外に出し、お湯を沸かして、みんなの机や階段の手すりを濡れタオルで拭き、床に落ちた細かなゴミを集め、コピー用紙を補充し、留守番電話を再生する。週末には階段やトイレの掃除、タオルの漂白などの作業も加わる。これを、一週間ごとに交代で行う。みんなより一時間早く出社するものの、作業自体は三十分もあれば終わってしまう。残りの三十分は、いつもはコーヒーを淹れて半額の菓子パンを楽しむ時間だった。
　ソーラン節を、踊ろう。
　誰もいない会議室のテーブルを拭いているときに、突然思いついた。魔が差したとしか思えないが一度思いついたが最後、その魅力には抗いがたかった。動画サイトを開き、こっそりと南中ソーランを流す。会議室のひんやりとした空気に、血が湧きたつような賑やかな音楽が鳴り響く。業者さんは、まだ来ない。
　ドッコイショ　ドッコイショ
　見えない綱を掴むように腕を伸ばし、綱を引くようにしゃがみ込む。
　ソーラン　ソーラン
　両腕を大きく、左に右に振り上げる。
　たまらなく、清々しい朝の幕開けだった。早朝ソーランに目覚めた私は、それまでしぶしぶやっていた当番仕事を軽やかにこなすようになった。布団から出るのがあれほど億劫だったのが嘘のように、朗らかに会社に向かうようになった。始業前にソーラン節を踊っているという小さな秘密は、仕事に潤いをもたらした。
　取引先に無茶なお願いをしなくてはならなくなって、自分の仕事が心底嫌になることがある。そんな憂鬱な朝は、いつもよりも激しく腕を振り回した。申し訳なさで身動きが取れなくなる前に、相手に連絡できるように。
　上司に理不尽に怒られた翌朝は架空の綱を両手で鷲掴み、より荒々しくしゃがみ込んだ。これから押し付けられるであろう厄介な要求に対して、しっかりと踏ん張れるように。
　ドッコイショ　ドッコイショ
　ソーラン　ソーラン
　会議室には磯の香りが満ち、私は猟師になった。大漁だ。引き上げた網のなかで、ニシンがピチピチ跳ねている。そういえば最近魚を食べていない。ＤＨＡを摂らないと、どんどん頭が鈍くなってしまうのに。今日は魚を買って帰ろう。ビバ、ドコサヘキサエン酸！
　腕をひねりながら顔を上げた瞬間に、道路を挟んだ向かいの会社の人と視線がぶつかった気がした。けっこう距離があるから、気のせいかもしれない。踊りを中断して、そっと手を振ってみる。グッモーニン。向かいの人が手を振り返してきた。ちょっと目が笑っている。ああ、やっぱり見られていたのだ。かあっと頬が熱くなったが、ここでやめたら負けだ。あたかも「会社から与えられた日課を粛々とこなしている人」のような顔で、私はソーラン節に戻った。
　ドッコイショ　ドッコイショ
　ソーラン　ソーラン
　その人はしばらく踊る私を眺めていたが、他に用事ができたのか部屋の奥に引っ込んでいった。きっと世の中は、堂々とした者勝ちなのだ。
　一曲踊り終えた私は、時計を見上げる。みんなが出社してくるまで、あと十分ある。
　晴れやかな一日は、まだ始まったばかり。

（1762字）

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5月21日の文学フリマ東京36に出店予定のミムコさん。
当日に向けて、着々と準備を整えられているご様子。
そんな彼女のアイデアがぎゅぎゅっと詰まった、ノトコレブックに応募させていただきます。

当日は遊びに行く予定です。
会場でいろんな人にお会いできたらいいなぁ。
ミムコさーん！もし何かお手伝いできることがあれば、なんなりと！

南中ソーランはこんな踊りです。