「予測不能」に魅せられて

 落語を聴きに行ったら噺家さんの滑舌が悪すぎて聞き取れなかったり、めちゃくちゃ怖いと噂になってたお化け屋敷に行ったら、きょとんとした顔で出口をくぐる羽目になったり、そういう予想外の、しかも「残念な出来事」に遭遇すると、「ああ、現実だな」って思わず笑いがこみ上げてくる。

 こういうのって、現実でないと経験できないことだと思うんだ。誰か書かれた筋書きでもない、天然のハプニングというか。

 何年か前まで、「何が起こるかわからない」は恐怖でしかなかった。うまくやることがすべてだと思っていたから、「残念な状況」に陥ると必要以上に取り乱して落ち込んだり後から自分を責めたりしていた。

 それがいつからか、「残念な出来事」を怖れるどころか、むしろ求めるようになっていた。たとえば、明日は人生ではじめて一人で結婚式に参加するのだけど、「わたしのことだからきっと残念なトラブルを起こすのだろうな」と想像したら、不安が期待に変わる。

 わたしは小説を書く感覚で人生を生きていて、そこで遭遇する「残念な出来事」は、小説でいうところの「意外な展開」であり「見せ場」なのだ。
 どこかへ出かけるとき、あるいは誰かに会うとき、心のどこかでそういう展開を期待している自分がいる。ひどいときは行事そのものより「意外な展開」の方が目的になっていることも多い。

 その変な好奇心が、臆病者のわたしが行動を起こすための原動力になっています。

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