占いを生かすも、占いに縛られるも自分次第

『手相占い 500円』

 その手ごろさに惹かれて、私たち三人は簡素なガラス戸を引いた。今年が前厄だという中学時代の友人二人に付き添って、石切劔箭神社(通称、石切さん)までお祓いを受けに行った帰りだった。

 石切さんの参道は、四柱推命からタロット、手相、霊感、陰陽師占いまで、ありとあらゆる占いの店がそろっていて、そのあたりでは「占いの聖地」とまで呼ばれている。
 私たち三人は、何年か前にも初詣の帰りにそこで占ってもらったことがあったので、数年ぶりに占ってもらおうかという話になったのだ。

「どうぞ、入って入って」

 中から声をかけてきたのは、黒いセーターに身を包んだ年配の女占い師だった。
 店内にはテーブルと来客用の折りたたみ椅子が三脚。三人入ればぎゅうぎゅうになるほど狭かった。
 私ともうひとりがテーブルの前に座り、残るもうひとりは後ろにある待機用の椅子に座った。

「手相を見てもらいたいんですけど」

 私がそう切り出すと、その占い師は「はいはい、ちょっと手をお借りしますよ」と私の両手をぐいと引っ張って、「あなたはとにかく自由に生きていたい人やね」という具合で占いはじめた。

 最初の言葉が的を射ていたので、私はすぐにその占い師の言葉に夢中になった。途中、質問も挟みながら、矢継ぎ早に私の性質んが語られていく。
 そこで「いいこと」を言われて気分がよくなった私は、他の二人がそれぞれ占ってもらった後に、総合鑑定をお願いした。

 はじまってすぐに、私は総合鑑定をお願いしたことを後悔した。最初の占いとは打って変わって、話がネガティブな方向に進みはじめたからだ。
 師曰く、星はいいのに名前がそれを打ち消しているので、「歳を重ねれば重ねるほど孤独になる」「男運が弱いから男で苦労する」「(生まれた年だけ聞いて)今の恋人は尽くせば尽くすほどエネルギーを奪われるし、尽くさなければ別れてしまうからよくない」らしい。
「ひとつのことを突き詰めていくことが好きだから、書くことは向いている」「お金はどんどん回っていくし、衣食住にも困らない」など、背中を押してもらえるようなことも言われたけど、人間関係があまりにもボロボロだったので意気消沈してしまった。

 占いの内容をメモするとき、少し迷った。悪いことまで書き留めたら、言葉に縛られてしまう気がしたからだ。考えた末に、私は自分にプラスとなるもの、あるいは言葉だけを書き留めた。(でも、結局、このエッセイを書くために思い出してみたら、悪いこともぜんぶ記憶に残っていたけど)

 しかし、その後、「占いで受け取ったメッセージをどう生かしていこうか」と考えるうちに、「占いは潜在意識の中にある思いを言語化するためのツールに過ぎないのではないか」と閃いた。
 悪いことを言われても、自分でしっくりこないときは「そんなことない」と言って笑い飛ばすことができる。不安になるのは、もともとその不安が潜在意識の中に存在した証拠なのだ。
 だから、不安になるようなことを言われたなら、自分の内側にある不安と向き合う機会として利用すればいい。不安の中身を洗い出して、それが現実になったらどうなるのか、そう感じている自分は自分のことをどんな人間だと思っているのか……そこまで突き詰めて、最後は自分の意識を書き換える。
 改名をしたり印鑑を作ったりしなくても(強引ではなかったけど、しきりに勧められた)、それで十分だと思う。

 ちなみに私は、「小説ではなくてエッセイのようなものの方がいい」と言われて現在、心が揺れている。言われた瞬間「やっぱり」と思ってしまったのだ。書きたいのは小説だけど、向き不向きで考えるとエッセイのように直接的な表現の方が私には合っているのかもしれない。(エッセイもいろいろだけど)
 ちょうど小説以外のことに力を入れている時期だったから、そんなふうに感じただけかもしれないけど。小説よりもこういう文の方が気負いなく書けるのはたしか。

 ……とかなんとか言ってるうちに、ちょっと今いいこと閃いたかも。

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