恋愛小説、解禁。

「恋愛小説」というカテゴリーを否定するようになったのはいつからだろう。たぶん、小説家になることを意識し始めたころに、ネットか何かで「恋愛小説はすでに飽和状態に達している」的な記事でも読んだのだろう。

「恋愛を扱った作品なんて掃いて捨てるほどあるし、テーマとして平凡すぎる。書いても需要がないし、くだらない」

 そう、自分に言い聞かせるうちに、いつのまにかその考えは無意識レベルにまで浸透していた。

 それでも、その後、いくつかわたしの心をつかんで離さない恋愛小説と出会ってきた。姫野カヲルコさんの『ツ、イ、ラ、ク』とか、桜庭一樹さんの『少女少女七竈と七人の可愛そうな大人』『私の男』とか、それからいま読み進めている島本理生さんの『ナラタージュ』もおそらくこの中に入ることになるだろう。(恋愛小説にカテゴライズしてもいいのかわからない作品も含まれているけれど)

 それだけ心を動かされたくせに、そのたびに「自分もこういう作品が書きたい」と鳥肌が立ててきたくせに、それでも恋愛小説を書くことを自分にだけは許せなかった。
 唯一、数年前に恋愛ものの長編を書いているのだけど、それは「死ぬ前にせめてひとつ本気で書きたいものを書こう」という想いから書いたもので、たぶんそういう気持ちでなければ書けなかったと思う。

 十代から二十代前半にかけて、恋愛ばかりしてきたわたしは、恋愛しかネタがない自分を恥じている部分があった。それも、わたしが恋愛小説を避ける理由のひとつだったのだろう。

 それがここに来て、急に恋愛小説が書きたくなった。よし恋愛小説を書こう、と思ったら子宮のあたりがチリチリするくらい興奮してきて、いったいどこから湧いてきたのか次々とアイディアが浮かんできた。
 ものすごい勢いで「書きたい」という欲求が湧き起こってきた。

 もしかしたら、わたしはずっと恋愛小説が書きたかったのかもしれない。なんなら、「恋愛小説家」と呼ばれるくらい、恋愛について書き尽くしたいのかもしれない。

 恋愛小説を解禁したことで、「恋愛しかネタがない」ことは逆に強みに変わった。恋愛だけは人よりも経験が豊かだし(〇人と寝た、とかそういう数字的な意味ではなく)、かなり特殊なパターンをいろいろ経験しているのだ。

 いつも心のどこかで「自分には圧倒的に小説のネタが足りてない」と危機感を覚えていたけれど、なんだ、ここにこんなにたくさん物語の種があったじゃないか。

 どうやらわたしは長い間、勝手に駄目だと思い込んで、一番の得意分野を封印していたらしい。いったいなんの縛りプレイだよ!

 これは昨日の「獣性」の話にもつながってくるところだけど、封印していた自分を解き放ったここから、書くものがどう変化していくのか本当に楽しみだ。

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