めんどくさい。でも、

 恋人と立ち寄った無印良品の店で、ふと、半額シールの貼られた土鍋が気になった。ずっと欲しいと思いながら、なんだかんだと理由をつけて購入を先送りにしていたのだ。
 無印良品らしい無地のデザイン。釉薬は「白萩」だろうか、土の色が透けて乳白色をしていた。シンプルだから、きっとどんな料理にでも合うだろう。
 手に取った瞬間、収納場所のことが脳裏にちらついたけれど、なるべく何も考えないようにしてレジに向かった。恋人と車で来ている今買わなければ、またずるずると先延ばしにしてしまうだろう。ここ最近、日々が味気なく感じられて味音痴のようになっていたから、何かわかりやすい刺激が欲しいという気持ちもあった。

 家に持ち帰り、箱を開ける。裏返しになった土鍋の蓋のなめらかな曲線が目に入ってくる。本体を取り出してテーブルの上に置き、とりあえず説明書きに目を通した。
『必ず最初におかゆをたっぷり炊いてください』
おかゆ? はて、どういうことだろう。
 よくよく読んでみる。なるほど、土鍋には細かい穴が開いているので、最初におかゆを炊いて溶け出したでんぷん質で気泡を埋める必要があるらしい。説明書きを読み進めるうちに、急激に冷やすと割れてしまったり、完全に乾燥させずに収納するとカビが生えてしまったりと、なかなか世話の焼ける子だということも判明した。
 なんだか生きものみたいで可愛いらしい。そう感じるのと同時に、騙されたという気持ちがふつふつと湧いてくる。こんなにめんどくさいと知っていたら、買わなかったのに。

 物心ついた頃から「めんどくさい」が口癖だった私は、そこからの三十年間、めんどくさいことにはできる限り蓋をしながら生きてきた。そんな私にとって、土鍋のめんどくささはちょっとした誤算だったのだ。
 しかし、買ってしまったものは仕方がない。ちょうど茶碗一杯分のご飯を冷凍保存してあったことを思い出した。それを取り出して水を張った鍋の中に沈めた。
 鍋を火にかけ、ダイニングテーブルのところで小説を読みながらおかゆが炊き上がるのを待った。

 何分くらい経過しただろう。突然、ぶおーっと、おっさんのいびきみたいな音が聴こえてきて、物語の世界から引き戻された。びっくりして振り返る。土鍋の蓋の隙間から白い泡が吹きこぼれそうになっている。慌てて立ち上がり、ガスを切りに行った。しかし、余熱でおかゆの反乱は続いている。半ばパニックに陥りながら、ミトンを手にはめて蓋を取る。
 反乱が鎮まったあとも、しばらく心臓の音がやかましかった。文化祭のお化け屋敷のような、ちょっとしたアトラクションを体験した気分だ。

 落ち着いてから、再び火にかけ直した。数分後、また同じことが起こった。今度は冷静に対応する。火を止めたあとも鍋の中でぐらぐらと煮立っているのがおもしろい。縄文人や弥生人が煮炊きに使っていたという土器も、こんな感じだったのだろうか。そうだとしたら、私たちがよく使うステンレス製の鍋よりもずっと機能的なんじゃないか。
 感じたことを急いでメモ帳に書きつけながら、私は停滞していた自分の人生が再び動き始めるのを感じていた。そうそう、この感じ。日々の細部を味わい尽くしている感覚!
どうやらめんどくさいことの中には、人生の妙味が詰まっているらしい。めんどくさいことを押し込めていた蓋を開け放ってみたら、世界に対する味覚が戻ってきた。

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