二重籍PART2続き

 まさか大学院博士課程まで留学するとはその時は全く想像できなかった。アメリカの私立ボーディングスクールは、一般の家庭でしかも5人兄弟という環境にいる娘にとっては行くことすら奇跡であった。なので1年間だけでしかも日本の高校に籍を置いたまま休学という形をとっての留学だった。

 娘が中学の時に受験したいと言い出した際、「我が家ではとても無理だから、受験だけはいいけど受かっても誉れだけだよ。」

これはこの話だけで本になるくらいだから娘にいつか執筆してほしいと思っている。娘が行った日本の高校は、アメリカで履修した単位を日本の高校の単位として認めてくれるというからその制度を利用しての留学だった。小学校の時とは違い本当の意味での2重籍だった。1年生の3か月だけ通って夏休みからアメリカに行った。娘もその時は1年間だけの留学だと納得した上でのことだった。それが2年目も2重籍の形となったわけだが、さすがに3年間は無理で(そりゃ当然でしょ、3年間アメリカだったら日本の高校に籍を置いておく意味がない!)結果としては行くことになったので2重籍は終了。アメリカの高校を卒業し大学、大学院とアメリカにいる。大学院の時には費用が足りず1年間休学して日本でバイトとクラウドファンディングしてまで頑張った娘。表向き金持ちの娘のように思われてしまうが全く反対で、親から見ても本当に苦労と努力をしている。

 今、日本学生支援機構のスカラシップアドバイザーとしても高校や大学のオープンキャンパスで話す機会があるが、大事なのは『意志』だと伝えている。それは我が家の子供たちをみて確信できる。

 不登校であった子供たちだが、みんな自分で道を切り開いていったからだ。私は見守って励ましていただけだ。どんな道であろうが私は歩んでいく姿を見ることができるのがうれしい。どんな道であれ生き生きとしていることが一番だから。

  ということで2重籍の話はこれでおしまい。


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