見出し画像

「宮本常一」という生き方

 大辞林によると、宮本常一は、<(1907~1981)民俗学者。山口県大島生まれ。天王寺師範卒。日本各地を歩き、村に生きる人々の姿を温かく描いた民族誌を数多く残す。著『忘れられた日本人』『家郷の訓』など。>とあります。

 宮本常一は、日本における「フィールドワーカー」の先駆者と言っていいと思います。百姓の出であり、高等教育機関に進むことなく人との出会いの中で農業指導や民俗学に出会い、渋沢敬三、柳田國男などに可愛がられ、やがて武蔵野美術大学に招聘され教鞭を執るようになります。
 
 常一の人生の魅力は、「人間に対する興味」という点に尽きます。大事だと思うのは、常一は、はじめから「〇〇になろう」と志を立てて歩んだのではなく、探求心に任せ、人の導くままに素直に進んだ結果、そのどこかで「こういうことだったのか」と達観してゆくのです。逆に、研究しようとすることそのものが、農民にとっては迷惑だろうと考えていて、それだからこそ、相手の懐に入ることが容易だったのかもしれません。

 私は近年になってようやく、常一のような人生が理想的だと思うようになりました。

 というのは、まだ美容師として経験が浅い頃、他の美容師との差異ばかりが気になって、毎日のように、人よりどれだけ何を打ち込んだかに注力していたのです。つまり、自分自身より、他人ばかり見ていたのでしょう。他人と比べて、何を持っていて何を持っていないのか、それがお金で買えるものなのか買えないものなのか、そんな考え方に支配されていました。
 
 人は、自分だけで自分自身を規定することはできません。自分自身を理解し、そこから作り上げるためには、どうしても他人という尺度が必要なのです。そうやって、他人という「鏡」を利用して自分自身への理解が深まることから、他人からの自分自身への関わりの理解も進み、本当の意味での他人への感謝が生まれるのです。同時に、相手にとっても自分という尺度が必要だということが実感できることで、今度は自分が他人に対して役立っていることが実感できるようになります。それが、社会の中での「役割」の発見です。

 美容師を職業にしていて、たくさんの成功した先輩たちを見てきました。でもどうしても「〇〇さんのような美容師になりたい」とは心底思えませんでした。なぜかあのようにキラキラすることに興味が湧かないのです。だから、常一のような人生に憧れるのかもしれません。あるいは、私の祖父は百姓でしたが、農業の生活慣習がこのような価値観を形作っているのかもしれません。

では、続きはまたの機会に。


#宮本常一 #美容師#美容院#経営#民俗学#柳田国男#日本人#教育 


 

 

この記事が参加している募集

仕事について話そう

お金について考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?