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#75 宗教化することの怖さ

國部先生の論説は、非常に深く、示唆に富んでいる。

さまざまな見解を自分も勉強させていただいている。

コロナ「騒動」は、社会が全体化するという怖さをまざまざと見せつけられた。国が戦争へと突き進んだ理由を垣間見た気がした。

今回は、ごくごく小さな「ウイルス」というものが対象であったが、実際には見ることができないものへの思いは、人々を一つの方向へと向かわせる。それは、神をはじめとしたみることができないものへの信仰に相通じるものなのだろうと思う。

そして、宗教を存続させるためには、人々がほしい考えを流布するということだ。そう考えると、たしかに「メディア自体も宗教」と考えることができるのかもしれない。

だとすれば、コロナは怖いと扇動し続け、ワクチンで救われると言い続けたがゆえに、「やっぱりただの風邪になりました」「ワクチンの意義はなくなりました」ということはつまり、自らの化けの皮をはがすことになる。国もメディアも、これまで作り上げた信仰という大きなものを率先して手放す行為はしないだろう。

世論が変われば、それに追随する。それがせめてものできることなのかもしれない。

上にすがることはやめよう。暴動なども起こさない日本人だ。とすれば、人々や身近なところから、「空気」を変えていく。それしかないような気がしている。