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『サマーウォーズ』が描く「未来」は、なぜ「懐かしい」のか?

夏を題材にした映画は多いが、スクリーンから「夏の匂い」を感じさせる映画は稀である。

そして、その数少ない「夏映画」の一つが、細田守監督の初の長編オリジナル作品『サマーウォーズ』だ。



「日常」のささやかな尊さと、「非日常」のドラマチックな躍動感。運命的な共同体としての「家族」の絆。否応もなく訪れる「死」と、その哀しみを乗り越えていく「祝祭」の儀。隠し切れない戸惑い、振り絞る勇気、そして加速する「初恋」。

そう、映画『サマーウォーズ』には、あらゆる世代の少年少女たちの「あの夏」の記憶が、ぎっしりと詰め込まれているのだ。

都会生まれか、田舎生まれかは問わない。全ての日本人の「夏観」を見事に象ったこのジュブナイルは、極めて普遍的な輝きを放っている。


そして、そう感じさせるのは物語の力だけではない。

今回、今作を観直したことで、一つ一つのシーンの演出に、細田守監督の信念が込められていることに改めて気付くことができた。

侘助の回想シーンに映し出される田舎のあぜ道は、日本美術の伝統に則して描かれている。また、ゆっくりと開花する朝顔の描写は、まるで水墨画のようだ。

極め付けは、青空と入道雲。日本人に特有の「風情」という概念に、丁寧に輪郭を与える映像演出は、息を飲むほどに美しい。

そして今思えば、今作のメインビジュアルに「OZ」の世界が一切描かれていないことも象徴的だ。

そう、『サマーウォーズ』が描く「未来」は、だからこそ「懐かしい」のだ。今作は、僕たち私たちが思い描く「あの夏」を、優しく丁寧に祝福してくれる。


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劇場公開から早10年。

いつまでも色褪せはしない今作を、僕は、これからの人生の中で、何度観返すことになるのだろうか。



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