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一本足で立つ

1週間ほど前からSNSを絶っていました。
綴として運用しているInstagramとnoteについてです。
noteに至っては全然更新していなかったので、あまり絶ったことにはなっていないかもしれません。

絶っていたのは焙煎が何度やっても納得のいく形に落ち着かなかったからに他なりません。
もちろんそういったSNSを絶ったからといってうまくいくはずもなければ、これまでそれほど膨大な時間や意識をSNSに費やしてきたというわけでもないと思うのですが。

アンバランスな「一本足」

正直なところ、「SNSなど更新している場合ではない」という感覚になってしまったのです。

曲がりなりにも珈琲屋です。
悲観的などではなく、いつかのnoteに書きましたが、美味しい珈琲が作れない自分に社会的価値はないのです。少なくとも自分にとっては美味しいと思える珈琲を作らなければならないのです。
「珈琲を作る」というただ一点が、自分の価値や自信のようなものを支えています。
逆にそれを失ってしまえば脆いもので、沖の方から少しずつ大きくなって迫ってくる波のように、形すら見えそうな不安として押し寄せてきました。
いわば一本足でぎりぎりバランスを保って立っているようなものです。
本当は「副収入」や「ダブルキャリア」のような、願わくば「不労所得」のようなものが欲しいものですが、世の中そんなに甘くないということでその予定も計画もありません。

SNSは私自身の記録用であると同時に、実店舗のない綴の顔(マーケティングツール)としても更新しています。
開業を目前に控えたいま、美味しい珈琲すら作れないのに「何を呑気に液晶画面に向かっとるんじゃー!」という切迫感に満ちた自分の声が聞こえてきてしまったのです。

自分の第一義のためにすべきこと

やめてみると、意外と肩の荷が降りたというか、気楽になりました。
フォロワーを増やすためには毎日更新した方がいいとか、いろんな人が見ていたり同じ時間にとか、いろんな人の投稿に「いいね」やコメントをしたりとか、まあいろいろと「テクニック」があると思います。
私もお店としてやっているので、フォロワー数というものは多いに越したことはありません。一時期に比べるとだいぶ減りましたが、適度にそういうことはやっていました。
フォロワー数やいいね数、ビジネスアカウントになるとインプレッション数や○○数といったものも現れて、もはや鬱陶しいなあとさえ感じてしまいます。
目に見える数字を追いかけてしまうのは悪いことでは全くないけど、そこに傾きすぎるのは避けたいところです。
長く続けていると、意識が本来大切にすべき方からずれてしまうこともあるんだと思います。

実際にお店を始めると、SNSを絶ったり珈琲豆の受注を休止したり、果てはお店を休むことになったりというのは難しいことかもしれません。
しかし私の第一義は間違いなく「(少なくとも自分にとっては)美味しい珈琲を提供すること」なので、例えば今回みたいにどうしても焙煎が上手くいかなくなった時は、誰になんといわれようともそれを改善するため、回復するためにすべき最善だと思えることを行える自分でありたいと思います。

ともあれ、自分なりのペースや付き合い方で、これからもSNSを続けていかなければなあと思います。
こんな自分ですが、お付き合いくださる方はこれからも何卒宜しくお願い致します。

珈琲豆ですが、現在シーラーの到着を待ったり、食品表示を修正したりと行っています。
(パッケージ変えます。これはまたどこかで)
お待たせして大変申し訳ありません。

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