参加作品

S.S.F. (Sun Shines Forever)

冷たい風を切って、足早に家路を辿る。

足を進めながら今日一日の出来事を、脳内で巡らせていく。

訪問先での取引の話、企画の進捗、昼食の中身、明日の業務リスト。

こうして社会に組み込まれているという輪郭を指でなぞりながら、

足形の残るほど強い抑圧と、肌を差す冷たさの刺激と、

腸を煮えくり返らせる憤怒とを抱えて、1日24時間という予算を使い果たす。

降りかかってくる猛吹雪に晒されながら、時折投げつけられる

全て脱ぎ捨てたくなるような暑さを我慢する日々。

そんな荒天から身を守り、冷えた体を暖め、汗を乾かしてくれる場所、自宅。

目的地にたどり着き、足を止め、ポストから鍵を取り出し、部屋を開ける。

鍵がポストに入ったままで、彼女がまだ帰っていないと分かっていたが、

それでも準備していた言葉が勢い良く口を離れる。

ただいま。

誰もいないその場所に、声が灯りより早く部屋中に広がった。

部屋に上がりスーツを軽くブラッシングし、ハンガーに掛ける。

その後は流れ作業のように部屋着に着替え、食事の準備にとりかかる。

昆布と骨付きの鶏をお湯で踊らせ、塩と香味野菜で味を整えた後、

溶き卵を流し込み、固まったのを見計らって水溶き片栗粉でとろみを付ける。

もう一口のコンロでは、圧力鍋の蒸気に乗って甘辛い醤油の割り下の香りが

部屋に広がり、中では豚のブロック肉がぎりぎり体制を保っている。

サラダボウルの上では、ごま油と塩を纏ったキャベツと胡瓜が

食べやすいサイズにカットされ、食卓での出番を待ち構えている。

今日の手札が全て揃った所で、ただいまという声が聞こえた。

彼女が帰って来たようだ。

食事の準備ができているのを確認するや否や、休日仕様となり、

同じ釜の飯を囲みながら、お互いの汗や涙を労い合う。

そして、このような場所があることに相手への感謝を述べる。

誰にも邪魔をされず、今あるものでパフォーマンスを発揮し、

相手が喜ぶ顔を見られる場所を設ける。

当たり前かもしれないが、其れが楽しくてたまらない。

例え仕事終わりだったとしてもだ。

もちろん食材や調味など一人よがりにならず、

相手に美味しいと言ってもらうためにも、変に凝ったことは決してしないし

好き嫌いやアレルギーに関しても念入りに下調べをする。

しかし基本的に食材の選択から食器洗浄まで

自分の好きなペースで行うその様は、

傍から見ればブロック遊びに夢中になる幼児と全く変わらない。

それは複数人その場所にいたとしても、絶対に自分以外を

キッチンに立たせない程に徹底して、脳内の設計図通りに黙々と作業をした。

そんな一人遊びの産物でも、喜んでくれる人はいた。

彼女は決して料理が出来ない訳でも、致命的に味覚が乏しい訳でもないが、

やたら他人の作ってくれた料理を有難がる。

学生時代、授業を通じて知り合い、やり取りを始めて数ヶ月経った頃に

彼女が風邪を引いた。その時に作ったインスタントおじやですら

美味しいを連呼しながらたいらげ、温かい笑顔を見せた時には

今までの食生活に対する疑念と不安がよぎった程だ。

曰く「いやーお母さんには料理も教えてもらったし、ちゃんと三食

お弁当も含めて作ってもらってたんだけど、親以外の人が

私のために御飯作ってくれるわけでしょ?そりゃ嬉しいよね。」

とのことらしい。

その後風邪は治ったが、以降彼女は時折飯を作ってくれと言うようになった。

本当に俺の料理を気に入ってくれたのか(インスタント食品に頼った料理を

気に入られるのは腑に落ちなかったが)飯ヅル認定が降ろされただけなのか。

其れを確かめるべく冷蔵庫と複数回のお見合いを経て最善のカードを切った。

結果は両方だった。

「肩肘も、値段も張らずに出来る食事の居心地が良かった。」という感想の後

「また食べに来るから。」の一言。

自己満足に終止していた世界が開き、そしてこの言葉を彼女の口から

本心として発し続けて欲しいと感じた瞬間だった。

食卓、そして7畳のむさ苦しい部屋に太陽が登った。

其れから事あるごとにお互い食事を拵えては共に食卓を囲み、

病める時も健やかな時も寄り添った。

そんな生活を数年続けていたが、卒業後、社会に出てから

お互いの時間が合わなくなった事もあった。

二人分の量作られた料理が時間差を経て消化されていく。

それは朝食のみならず、お弁当という形でも同じだった。

また、どちらかが人付き合いで外に食事に行った時は、

皿の上に載せられた料理が、数時間前とは違う様相で冷蔵庫へ帰っていく。

そんなこともあった。

そんな時は逆に、同じ場所に居る短い時間の中で

ちょっとしたものを作って食べたり、普段のお弁当の中身について

話をしたりした。

一人の行為と一人の好奇が混ざり合い、食卓や生活を照らし出す太陽が

生まれ、幾年か経った。

そしてその光はこれからも、雪にまみれ、汗を乾かし、雨に降られた心と体を

優しく暖め、包み込むだろう。

この目が黒いうちは絶対に手放したくない力で、幸せを照らし続ける。


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