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人間主義的管理会計?

一昨日の記事の続き。

このあと昨日はスタートアップ企業C社とのミーティングだった。そこではこの記事で書いたこととは真逆に非常に細かなソリューション提供型の話をした。これは完全に私のミスだったんだけれども,このミスがあったおかげで自分が立つべき立ち位置が明確になった気がした。

この点はまさに今朝のミーティングで投資ファンド氏(とあえて命名しておきます/キャラ化)から指摘された部分でもあり,分かる人には分かるんだなと。

やはり,人という存在を具体的にイメージしておきながら,システムを使って運用される具体的な対象ばかりを捉えるのではなく,抽象的にその人が目指す世界観を道具(この場合はMCSであり,管理会計システム)を用いて実現したいと考えているのか,それはシステムに反映されているのかを見ていく。それが私にできる仕事の1つの進め方だと認識した(が,そんなに大そうなものではない。遥かに優れた研究者はいくらでもいる)。

人間主義的経営,文化人類学,臨床の知から学ぶ

そこでふと頭に浮かんだのが,春に読んでいたブルネロ・クチネリの「人間主義的経営」であり,投資ファンド氏との会話の中では示さなかったが東畑開人さんの一連の著作(『野の医者は笑う』『居るのはつらいよ』は面白かった)であったり,当事者研究の話だった。特に当事者研究のアプローチから自身の場面緘黙症と向き合った卒業論文は秀作だったことを思い出した。

あるいは,著書の中でもたびたび登場した梅棹忠夫のような文化人類学であったり,認知や哲学という話では中村修二郎の『臨床の知とはなにか』のように自分が現象や他者の行為をどのようにして見つめるかについてさまざまなアプローチがあり,正直ディシプリンは何でも良いから,研究者として自分が社会や現象,人をどう見つめたいのかという意志のようなものだと考えるようになった。

何が言いたいかというと,やはり私はシステムと人がどのような相互作用をしていて,人の認知やシステムと向き合う姿勢からどのような新たな現象が生み出されるのかということに興味があるらしい。もう少し言えば,その仕組みに含まれているであろう人の意志や理念,考え方(言葉はいろいろあり得る)を見たいのだし,それがシステムに与える影響,システムがそれに与える影響を観察し,記述したいということだと思う。

そういう視点で改めてクチネリの『人間主義的経営』を読めば,イタリアという国に生まれ,いつも見る景色の中で,自らの思想を練り上げ,それを製品に意志として乗せて販売し,自らの寄って立つべき場所を大切にするというクチネリの思想が強くにじみ出ている。恐らくそれは製品だけでなく,地元の古城を改築して工場にし,技術を継承するために人を育てるという話にもつながっていくのだろう。

私が地方に興味を持つことも根っこは同じかもしれない。同じとはおこがましいが,人々の生活に根付いたなにかに興味を持っている。しかし,それはビジネスに関わるものという範囲ではあるが。

人間主義的管理会計?

そういう意味では,MCSや管理会計システムを観察する眼差しも似たようなものなのだろう。(まだまだ数は足りないとは言え)さまざまな経営者と話をしてきた経験,それを著書にまとめて自分なりの考え方としてクリアにしたことで,「きっとこれはそういうことなんだろう」という目付けが効くようになった。

しかも,細かい管理技法にも関心はあるけれども,よりその技法がもたらす効果,その技法を用いる意図に興味関心を示している自分がいる。時間の制約上全部が全部聞くわけにはいかないのだけれども,インタビューの合間から見える考え方,もう少し言うと苦悩が透けて見える。それをまた言葉にすることで,自分の認知が強化されていくというイメージだろうか。

何を見ているのか,何を聞いているのかを表現するのは極めて難しいのだけれども,自分なりに今の時点で説明できるとしたらそういうことなのだろう。梅棹の言う「デザインはその場の状況によって異なる」(意訳)という話も踏まえてだ。

人間主義的管理会計。人がMCSや管理会計システムを介して何を見ているのか,何を考えているのかを記述する。全くの思いつきで意味をなしていない言葉だけど,自分の中で解き明かしていきたい1つの視点になりうるかもしれない。こう書いてみて「それってもうあるじゃん」とは思うんだけどね。とにかくもう少し煮詰めてみるのだ。

あ,最近の言葉で言えばナラティブ?ナラティブを交換できる管理会計システムの構築っていうか。そのためにシステムがあるのか。実際にナラティブというワードを使って管理会計の研究してる人いるけど,システムを理解するための概念装置ではなくて,ナラティブを円滑に交換できるシステムの構築をどうするか問題。要するにデザインをどうするか問題ですね。

管理会計担当者を育成する?

これとは別に議論していて自分の中の問題意識として見えてきたのは,自分が思っている以上に管理会計に問題を抱えている企業が多そうだということだ。

たまたまミーティングしている企業がそういう企業だったのかもしれないが,それぞれに問題を抱えている印象だ。目先の業務を記録することばかりに追われてしまっているがために,システムをオーバーホールできないままに複雑な管理体制を敷いてしまったり,現場の数字を補足するとともに目標をいかに与えて追いかけるかを考えるがあまりに経営者=管理者=従業員の連繋がうまくいっていなかったり。もう少し話を聞いていく必要はあるけれども,三者三様の課題のように聞こえるけど,そもそも病巣は似たようなものであるように見える。あと少しで頭の中はクリアになりそう。

そして,今日の投資ファンド氏とのミーティングで提案された話がこれまた面白そう。管理会計担当者の育成という話だ。さすがに私のゼミ生には荷が重いので,即興的に「インカレで募ってみてはどうでしょうか」と述べたものの,需要はあるだろうか。

「本当は企業内会計担当者として仕事をしたいけど,新卒では経験がないから難しいのではないか」と考えている学生は多いように感じている。簿記や会計を学ぼうとすれば,その先にあるのは公認会計士や税理士という士業になるのだが,そういう資格とは異なる管理会計,つまりマネジメントと会計の双方に精通した認証(Certification)を与える仕組み。まあ,管理会計士になるのか。資格じゃなくても,そういう学ぶ機会を創ろうという話。

福岡でもスタートアップ都市宣言からまもなく10年を迎えようとしており,にわかに起業家そのものだけでなく,ある程度成長したスタートアップを支援する会計・財務(CFO)人材が求められている。これはある種ファイナンス側(資金調達側)と管理会計側(資金運用と組織マネジメント)に分けられるだろうが,IPOを目指す企業にとってはファイナンス側ばかり強くても問題になる。内部統制システムの構築において管理会計側の強化は必要不可欠だからだ。しかし,これを司ることができる人材が薄い。どこでもそうなのだろうが,ここを支えられる人材が少ない。

もうこれを言い始めて5-6年は経っただろうか。10年前はインキュベーションができるVCと言っていて,いくつかプレイヤーが育ちつつあるけど,ここの人材像の薄さはまだ解決していない。企業家そのものを育てることも重要なのだけれども,守りと攻め双方を担える軍師的CFOや管理会計担当者をいかにして育てていくか。今後,まだまだ議論していかねばならないことは多い。

もし,これをやってみようと話になった時,第1号は自分のゼミ生から手が上がるというのが理想的なんだけれども…。そういう人材は当ゼミには一切来ないんだよな(笑)。今ならあのときの人材と紐付けられるのに残念だ。でも,これもめぐり合わせ。使命感を持って取り組みたいですね。

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