あの頃20

KIさんのことを書いたからには、同じ3年のSIさんにも触れねばなるまい。

SIさんとは、結局、部の活動では一度も会わなかった。読書会でコクトーの「恐るべき子どもたち」の紹介者がSIさんだったのだが、その読書会に、私はビビって参加できてない。それぎりSIさんは部の例会には出なかった。
なので、SIさんと会えたのは、10回に満たない。

SIさんは優しい人である。もしかしたら、私が出会った人の中で一番優しい人かも知れない。
初めて部室で会った時、ああ、あんちゃん新入生か、よろしくな、と声をかけていただいた。
服装も普通であった。

ただ、ヤバイ人だと瞬時にわかった。人間なら、誰でも感じることのできる、あのヤバさが漂っていた。

この人はヤバイ。

この人は、たぶん世間の裏まで知っている。学生なんて何だかんだいっても所詮甘ちゃんである。ガキである。
その中で、SIさんだけが、特別なニオイがした。きっと私らなんか新入生はお子ちゃまに見えただろう。

一度Sさんに、SIさんは、小説書かないんですか、と訊いたことがある。Sさんはその時、

ーーいいんだよ、SIは。あいつは生き様が小説だから。

と遠い目をして言った。
それ以上は怖くて訊けなかった。

また、一度だけ、お部屋にお邪魔したことがある。Dさんに連れられて行った。
本棚に、大江健三郎の「厳粛な綱渡り」があった。べらべらよんで、大江のエッセイは自分に合わないと思った。
でも、こうした本を読む人間は信用できる、とも思った。それがSIさんである。

もう一つ思い出したことがある。文藝部では、学祭に作家さんを招いてお話を伺う伝統があった。
2年の時、私は奥野健男を呼ぶことを提案した。
呼びたいんなら、お前が交渉しろと言われ、どうしていいかわからず、いきなりご自宅にお電話を差し上げた。
安い講師料であったが、快諾いただいて、私はとても嬉しかった。奥野健男と言えば太宰研究の大家でもあった。
しかし、みんなの反応は薄かった。来るんだ、みたいな。
そんな空気の中、たまたまSIさんが部室に来た。
そして、奥野健男来校の件を聞いて、驚き褒めてくれた。一番褒めてくれた。文藝部のなかで、たぶん一番奥野健男の価値を分かっている人がSIさんであった。

ーーSIさんも、奥野健男の講演会でてくださいよ
ーー俺か。俺は、まあ、いいや。そういうのは、あんちゃんたちに任せるわ。頑張んな。

そう言って、SIさんは部室を出て行った。

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