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詩の自覚の歴史 山本健吉

 恥ずかしながら、大伴坂上郎女って知りませんでした。この時代の郎女いうたら、石川郎女。大津皇子といい感じで相聞歌を交わして、草壁皇子には返歌しない、つまりコケにした石川郎女。もしかしたらいなかった、大伴家持の創作かもしれへん石川郎女。だけしか知りまへんでした。はい、浅学の身です。
 大伴坂上郎女は、家持の叔母さんなんです。女性では額田王の次に万葉集に載った歌が多いんですってね。
 本書の後半、筑紫歌壇のことが語られます。太宰府にやられて鬱憤で酒ばっか飲んでて、奥さんまで亡くして踏んだり蹴ったりの父親旅人。同じく太宰府にやられて、リューマチで「老身重病」の山上憶良。支離滅裂に恨み言のような歌を残し、老醜無惨。
 時に家持12歳。大伴家持の詩情は、旅人・憶良ではなくて、叔母さん坂上郎女に育まれたようですね。母亡き後、自分の子供のように家持を可愛がったとか。のみならず和歌のいろはを教えもした。それは時に相聞歌でもありました。仮構した恋人としての歌が残っとります。

月立ちてただ三日月の眉根(まよね)掻(か)き日長く恋ひし君に逢へるかも   大伴坂上郎女

ふりさけて若月(みかづき)見ればひと目見し人の眉引(まよび)き思ほゆるかも  大伴家持

三日月眉が女性のトレンドだったんでしょうか。それにかこつけて上手いもんですな。

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