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【昭和歌謡名曲集1】健さん、愛してる 東京キッド・ブラザーズ


 高倉健である。「不器用ですが」の人である。若い頃の「昭和残侠伝」とか有名であるが、私は任侠物は見ない。
 別に任侠物自体が嫌なのではなく、そこに学生運動をやってた人間の陶酔のヒロイズムが勝手に投影されて、実際以上の評価がなされていることが気持ち悪いのである。
 健さんも、その辺、嫌だったのではないかと思う。母親から、もっといい役をやっておくれ、と言われたとかもあるかも知れないが、徐々にヤクザ映画からフェードアウトしていく。「冬の花火」や「夜叉」では半分ヤクザで、「幸福の黄色いハンカチ」とか「遥かなる山の呼び声」では、過去はあるがヤクザではない。「八甲田山」では部下を鼓舞して助けるし、「駅」では刑事になり、「鉄道員」では実直な駅長である。健さんは完全に更生した。
 では、私はどの健さんが好きかというと、実はあまり健さん自体に興味はない。強いて言うなら、内田吐夢監督、中村錦之介主演の「宮本武蔵」シリーズでの佐々木小次郎だろうか。初々しく台詞棒読みで、健さん神話がまるでなく、好感が持てる。

 私が好きな健さんは、実は歌の中にいる。言っておくが、それは「唐獅子牡丹」ではない。健さんが歌っていない「健さん、愛してる」の歌詞、そこにいる健さんが好きなのだ。
作詞・寺山修司、作曲・クニ河内によるこの歌は、映画「書を捨てよ、街へ出よう」の劇中歌だった。私はこの映画を、三本千円の名画座で見たと思う。
名曲である。稲の刈り取られた水田に、でかい看板が建っている。そこには、着流し姿の健さんがドスを抜いている姿が描かれている。看板の前には、十数人のテキ屋が並び声を合わせて歌う。
 健さん 愛してる
 健さんが 好き
間に決め台詞
 死んでもらいまひょ
が四度挟まる。
 お命 ちょうだい
が四度挟まる
 映画の健さんはかっこいいのである。そして、歌詞の世界でそれを見ているのは、世の中が怖い、月給わずか二万円のオカマちゃんなのである。
 この憧れのリアル感がたまんなかった。いいなぁ、この設定! ディテール!
 ノリで学生運動やる、勉強もしないで、仕送りもらってる、ヒロイズムに酔った大学生より、当時は圧倒的マイノリティで、金もない日陰者のオカマちゃんが、映画のわずかな時間だけ、健さんに酔いしれるのは、泣ける。なにより、自分は健さんではない、と彼がちゃんと意識しているのがよい。最後に、

 男ならせめて一度は殺してみたい

という言葉で歌は終わる。
彼は、別に女になりたい訳ではないのである。男のまま、多分男が好きで、それで多分いっぱい嫌なことを経験して、我慢して、でも報われないで、そういう人生を送っているのである。
 その彼が「一度だけ殺してみたい」と最後に思う。「何を」も、「誰を」も、語られない。それは彼にもわからないから。そして、その願いは願われるだけで、実行はされない。歌を聞く者には、そのことがありありとわかる。だから、いっそう切ないのである。

 映画自体は、60年代の反体制的な、価値観の変更を根底にに求めるような映画だった。だが、私はそこには惹かれず、ただただ、健さんに憧れるオカマちゃんのリアリティに喰らわされたのであった。

 今日、YouTubeで、久々に探して聴いてみた。すると、一番大事な「私は人を斬ったこともなく、世の中こわいオカマです」の一節が歌詞になかった。えっ、そんなはずは、と思って聞き返したが、矢張りない。オカマのオの字もない。
そんな。
あれは私が勝手に心で捏造した歌詞だったのか。
まさか。

今、私は、狐につままれた気がしている。

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