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捜査員青柳美香の黒歴史12

 駅を降りて驚いた。結構観光地化されている。グーグル・アース・ストリートビューの死角の位置で、饅頭や煎餅を売っている店もある。のれん、手ぬぐい、扇子、団扇、饅頭の名前、煎餅の名前、どれにもこれにも「胎内巡り」の文字が踊る。「日本随一」「神秘の体験」「生まれ変わり」「生き直し」などなどあおり文句も勇ましい。
「青柳、ここは観光地か」
「へえ、温泉も出ますんで」
「なんだ、けっこう開けてんな。人はおらんが」
「一月十四日が大祭で、その前後は大勢集まったんで、その反動ですかな」
 したり顔に解説する。
「ちょっと、覗いてみるか」
 近くの店に入ってみる。
 奥でテレビを見ていた婆さんが「いらっしゃーい」と言う。でも、動かない。
「おばちゃん、憑神さんに行くのは、この道まっすぐでいいんですか」
「いーよ。饅頭安いよー」
「胎内巡りってなんですか」
「行ってみなー。行きゃあわかるよー。煎餅おいしーよー」
「そうですか。ありがとう」
「なんも買わんのかー」
「あ、じゃ、お饅頭二つください」
「まいどー」
 饅頭を買ったら、奥泉観光マップをもらった。これはありがたい。
「観光饅頭って、どううしてどこもかしこも同じ味なんですかねえ」
 食いながら青柳が言う。言う割にうまそうに食う。
「観光地だからじゃないか」
 適当に言うと、「ああ、そうですね」と素直に納得した。
 二百メートルくらい歩くと、石段が見えてきた。この上らしい。背後は鬱蒼とした山々がせり出している。
「雰囲気あるでしょ」
 とスキップでも踏むように、青柳は石段を軽快に登ってゆく。こっちは青息吐息で登り切る。途中、十人くらいの人とすれ違った。
 上がりきると巨大な輪っかがある。藁で編まれて紐で張られて垂直に立っている。それが奥にもある。数えると六つある。さらに後ろに本殿。背後には山。
「なんだ。これ」
「マップマップ」と青柳の催促。見ると、名前が書いてある。
 天人道輪
 修羅道輪
 人間道輪
 畜生道輪 
 餓鬼道輪
 地獄道輪
「六道遊行だな。憑神教って仏教系か」
「さあ」ととぼける。
「おまえな、こんなのは一般常識だからな、とぼけるな」
「へえ、一般常識だとも思えませんが、では解説をどうぞ」
「六道は、生まれ変わりの世界だ。命ある者は、死ぬと何処かの世界に必ず生まれ変わる。次は餓鬼道に落ちるかもしれんし、地獄に行くかもしれない。永遠に輪廻転生し続ける。どの世界に行っても病老死の三つの苦しみがある」
 一つ目の輪をくぐる。
「天人さんもですか」
「そう、天人五衰といって、やがて衰えて死ぬ。まあ、寿命は長いがな」
「なかなか死なないのもなあ。やっぱ人間がいいかな」
「仏教ではな、病老死は三苦といって、まあ生きることは最終的に苦しみである、と」
「ずっと苦しむわけか。なんか悲観的だなあ」
 二つ目の輪をくぐる。
「そのころのインドは、とてつもなく貧しかったろうから、まあ、今の日本の感覚とは違うわな」
「そっかあ。でもさあ、南無阿弥陀仏とか唱えたら天国いけるんじゃないの」
「極楽浄土な。天国はキリスト教。キリスト教の方で言えば、全員行ける訳じゃない。最後の審判ってえのがあって、そんとき、キリストが天国から帰ってくる。そんで、今まで死んでた人もむくむく起きあがって、キリストの審判を受ける訳だな。それでキリストがおまえ天国、おまえ地獄とか振り分けるわけ」
 三つ目の輪をくぐる。
「へえ、すげえ。キリスト最強!」
「だから、復活しなきゃなんないんで、キリスト教圏は基本土葬。体がないと復活できんからな」
「ああ、だからゾンビ映画とかあるわけだ」
「そう。で、仏教の極楽だけど、あれは如来さんの持ちもんなわけよ。よく聞く阿弥陀如来さんの持ってるのは西方浄土。奈良の大仏はなんだっけかな、薬師如来は東方浄土か。釈迦もなんか浄土を持ってる。今、そこにいるんじゃないかな。信仰すれば、死んだらそこに連れっててくれるんだな」
 四つ目の輪をくぐる。
「阿弥陀さんとか、あれ人間?」
「じゃないな。人間で最初の如来はお釈迦さんだね」
「手塚治虫で読んだ。ブッダでしょ」
「そう目覚めた人って意味なのかな。でもまあ釈迦は浄土浄土とか、あんま言ってないけどな」
「じゃ、お釈迦さまは何したの」
 五つ目の輪をくぐる。
「六道から逃れる方法を会得した」
「へえ、すげえ。つーか意味わかんないけど」
「六道から超越したわけだ。それを称して、<悟る>と言う」
「ふうん、じゃ、なんで、悟った後も死ぬまで人間やってんの」
「悟る方法を教えるために、だな。その教えが仏教。教えるために、あえて人間世界にとどまったんだな。悟れば、三苦だけじゃなく、すべての苦しみから解放されるのさ」
「そんなことできるんかなあ。あっ、六道通った」
 六つ目の輪っかを通過した。
「これで六道遊行したわけだから、どこぞの浄土へでも連れってくれるのかな」
 目の前は本殿である。賽銭箱はないが、寺の形をしている。けっこう大きい。だが、本殿の板の間の奥、本来御本尊がある場所にぽっかり穴が空いている。洞穴か。洞窟か。どう違うんだ。どっちにしてもそこだけ岩がむき出しになっていて、人ひとり通れるくらいの天然の穴が黒々と口を開けている。上の木板に「胎内巡り」とあった。
「これか」
「そうみたいですね」
 青柳はそばの立て札の方を見ている。

 境遇を失うことを恐れる者
 常に怒りある者
 欲望に負ける者
 働くことだけが人生の者
 貧しく飢えたる者
 罪にさいなまれる者

 生き直せ生き直せ生き直せ

「これ何。六道のこと」
「ふむ、なんかそうみたいだなあ。人間として生きながら、ある人は地獄道に落ち、ある人は天道におり、ある人は修羅道で怒りに満ち、とか言う意味かな」
「その通りである!」
 突然の大声。声の方を見ると、白装束の若い男が立っていた。神主というより山伏に近いようないでたちだ。
「こりゃまた、変なのが出てきましたよお」と青柳が呟く。
 こらこらと制して、声をかける。
「ええと、神主さんでいいんでしょうか」
「信者である」
「ああ、普通に信者さん。あの、胎内巡りなんですが」
「ご所望か」
「なんだか時代劇みたいですね」とまた余計なことを言う。
「入れるんですか」
「入窟だけか」
「入るほかになんかあるんですか」
「沐浴もできる」
「この寒いのに、やだあ」と身をくねらせる青柳
「いや、温泉である」と信者さんは。なにやらパンフレットを差し出した。

 生き直し
  入窟    500円
  沐浴    3000円
  装束一式貸与1000円
  *装束にはタオル・バスタオルもつきます。

「金、とるんだ」

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