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別れる理由 小島信夫


「群像」に12年(!)くらい連載されてた小説。
 世に長い小説はたくさんある。ヨーロッパでは「失われた時を求めて」とか「チボー家の人々」とか。ロシアでは「戦争と平和」とか「カラマゾフの兄弟」とか。「カラマゾフの兄弟」は読んで面白かったが、他は読んでない。読める自信がない。読んでるうちに死んでしまいそうな気がする。日本にも「徳川家康」とか「大菩薩峠」とか、やたら長いやつがある。やはり、読み終わる前に確実に死ぬ、と思う。「カラマゾフ」は言うても三巻である。大長編を読んだと自慢もできない。「ドカベン」も最後まで読んでない。
 いったい「徳川家康」の第一巻を手に取ろうと思う人はどんな人なんだろうか。面白い小説を読んでしまうのが惜しい。ずっとこのまま読んでいたい。なんていう人がいる。そういう類の人だろうか。歴史小説が好きな人なら、「徳川家康」は定評があるし、安心して手にとるのかもしれない。
 そう、面白い小説を永遠に読んでいたい。読む快楽に身を浸し続けていたい。読書家なら、それはひとつの理想であるのかもしれない。
 だが。そこで考えて欲しい。何が何だかわからない小説を延々と読み続けなければならないとしたら。
 それが例えば「フィガネンズ・ウェイク」のように、あらかじめ分からないこと前提で書かれたものなら、心構えも違う。あれは原書と辞書をそばに置いて、アナグラムと言葉遊びの粋を感じ、訳語に感嘆すればいい。
 だが、普通の小説と思っていたら、いつの間にか、誰が喋っているのか、なぜそんなことを言うのか、そこはどこか、時間はいつなのか、皆目分からず、主人公は馬になり、トロイア戦争のことが延々続き、登場人物が作者に電話をかけ、次から次に実在の作家が現れ、とっくの昔に筋はどこかへ行き、脱線につぐ脱線で、まるで自動筆記のようで、それを何千枚も読まされるとしたら。
 地獄である。
小島信夫「別れる理由」はまさにそんな書物だ。連載中も読んでるのは作者と担当編集者だけだと噂されていた悪魔の小説である。
 坪内祐三に「別れる理由が気になって」という本がある。刊行から20年後に書かれ、本の内容を交通整理しているのだが、読んでも結局わからなかった。
 そうなのだ。私は「別れる理由」を読んだのだ。途中から、絶対読破するという、ただそれだけの馬鹿な片意地だけで、歯を食いしばり、草を喰み、まさに匍匐前進、玉砕覚悟の日本兵のように、亀の歩みで、とうとう、読み通した!
 だけだった。
 皆さんには、本はつまんなかったら読むのをやめなさい、それは決して恥ではない、そうお伝えしたい。


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