たち吉

わたしが死んだときに家族が読めたら笑えるような。 好きな食べものは焼きそばです。 h…

たち吉

わたしが死んだときに家族が読めたら笑えるような。 好きな食べものは焼きそばです。 https://www.instagram.com/invites/contact/?i=1802cnbh120ln&utm_content=a82xjz

最近の記事

まさかわたしが。

体重61.2キロだったわたし。 一月末にひょんなことなら健康診断にいったら、ポリープが見つかりました。三月あたまに結果を聞いて精密検査となりました。三月末に精密検査をして大きなポリープ目の当たり。四月の頭に「うちではとれないね」といわれて大きな病院の紹介状をもらいました。 紹介状の日までなにもできないしなーと福岡へ。 紹介状の日の前日に、現実逃避旅からもどり大きな病院へ。「すぐとってください」といったけど、まだ検査。 また精査。内視鏡でちゃちゃっと、って話してたのに しっか

    • 供養ということの最大の意義

      そうだ、京都にいこう。 ってわけでもないけど、おばーばの本山参り。 10時半に集合のはずが起きたら7時半。 京都まで3時間の私は東京。寝起き。 本山の妙心寺に着いたら ちょうどいただくお経は終わっていて みんな本堂の前で集合写真を済ませ、恒例の「わたし待ち」 「ちょうどよかったなぁ、ごはんやで〜」 と迎えてくれる優しい親戚一同総勢25名。 ちょうどいいわけもないけど、ちょうどよかった。 ごはん処の嵐山に移動する時間に間に合うの巻。 ワイワイ言いながらバスに乗ったら運転手

      • 1978年 11月22日うまれ

        それはわたしより2ヶ月と2日遅れでうまれた ぶりっ子の幼なじみ。 幼なじみがどういう定義なのかはわからない けれど そんなに近所で育ったでもなく それは幼い頃の、ましてや田舎の広大な土地に 広さと遠さを果てしなく思うだけで 都会に出て来て早20年を過ごしたいまは 1キロや2キロの距離はご近所さん。 だから幼なじみ。 4歳から一緒だったんだもんなー。 あのぶりっ子と。 保育園、一緒 小学校は別 中学校、一緒 高校、大学も別 実家は近所。 とっても優しい彼女はすごいぶり

        • 左手で思いっきりオレを殴れ

          こんなことを言う人。 初診は2020.9.21 誕生日の次の日 覚えやすいように。そして仕事なき日々。 わたしは歯を、銀歯を全部白くしようと 歯医者に通いはじめた。 歯医者さんってやつは いつもなかなか混んでいて 週1.2のわたしの休みに合うことも少なく いつも途中で行かなくなっていた。 今ならいける。 ちょっとやそっとじゃ済まなさそうな 感染症にふりまわされる毎日を 大好きなイタリアに行けそうにない鬱憤と 大してあるわけでもないお金でも 使い道のない寂しさ晴らしに。

        まさかわたしが。

          金の斧を振込んだら黄金の斧が届いた(詐欺にあった話です)

          去年のこと、草彅くんのミッドナイトスワンという映画にどハマりした。それはそれは美しく儚く切ない物語で、バレエを踊る14歳の少女に度肝をぬかれた。 うつくしすぎる。 愛に溢れたその映画のサントラが弾きたくなった。毎日聴いていたし、音を取ってはアプリの鍵盤でポロンポロンと弾いていた。 そしてちゃんと弾きたくなった私は楽譜を探した。 もちろんAさんに付き合ってもらって探しに行った。 結局、何軒も楽器屋さんをまわったけど見つからず「本」で残しておきたかった私の心とは裏腹にコンビニで

          金の斧を振込んだら黄金の斧が届いた(詐欺にあった話です)

          1981年 10月1日うまれ

          ※これは公開処刑ではなく公開感謝状である笑。 彼女に出会ったのはもう十数年まえ。 わたしは昼間の仕事をしているとき イタリアンレストランで働く友達から 「夜空いてるならバイトすれば?」と 誘われて入ったお店のツボネだった。 お局さん、ではなくツボネ風。いつもタイムカードを押すときに スタッフみんなの名前が見れる。 新人のわたしはそれを見て名前をおぼえた。 まだ会ったことない人いるなぁ、と3日目。 「弥」という漢字が目に入ると勝手に男性かと。 これで女性ならかっこいいな、

          1981年 10月1日うまれ

          Appleとわたし

          手に余るほどのおおきな携帯を買った。 iPhone13 最新機器にうとく、なんでもよかった。 電話さえ出来ればいい、の時代から LINEさえ出来ればいい、の時代になり 誰の電話番号もわからなくなった。 指紋認証が心地よく思っていたのは過去になり 世間では顔認証、マスク認証とやら 人さまに顔を向けるのも恥ずかしいのに 携帯さまに顔を向けるだなんて、寝起きは困る。 親さえ認証してくれないのを、えーあいさまは 認証してくれるのであろうか。 それでも時代遅れの、そのまた遅れのよう

          Appleとわたし

          おじぎをする

          わたしがまだ子どものころ 母はデパートで働いていた あ、いや、わりと最近まで 勤続40年はゆうに越えてたから なかなかのベテランパートだったかと思う 父とお迎えにいくと てけてけ走り回るわたしをみつけた 他の店員さんが母を呼んで来てくれる 「従業員のみ」とかかれた グワングワンまわる扉の向こうから 出て来て母は深くおじぎをする 誰に、とかじゃなくてフロアに へんなの。とおもっていた 娘のわたしがここで待ってるのに 誰におじぎしてんの?そんなゆっくり。 そして娘にかけ寄

          おじぎをする

          歩いていないと字が書けない

          私は歩くのだーいすき。ひとしれず。いや、誰もが知る。 なんでこんなことになったのだろーか。謎。 歩いている時に文章をかく。 職場のインスタ、自分のインスタ、そしてこれ。 歩みが止まると親指が留まる。意味わからない。 なので甲子園のあいだは引きこもってテレビに夢中でなかなか文字が書けなかった→歩けなかった。 歩いていたとしてもバーチャル甲子園を観ていた笑 むかしむかし、パリでお世話になったカップルの家から一枚の紙切れが出て来て「歩きなさい」と書いてあった。 もっと言うと、

          歩いていないと字が書けない

          1952年 9月11日うまれ

          今日はというと大好きな母上のお誕生日だー。 Apple Watchが欲しいというのはさておき、とりあえずビールを1ケース送る。Amazonさまさま。 物心ついた時から、本当に強く優しい女性だった。 いたずら好きの小学生のわたしに手を焼いた当時の担任の先生は母に相談しに来ていた。 「むすめさん、いたずらばかりで言うこと聞きません!」という新米新卒教師に「ウチの子、どれだけ叱っても良いので言うこと聞かせてください、それが先生です!」と「学校に預けてるんだから親がついていって叱

          1952年 9月11日うまれ

          ホンモノを知ってしまった68歳

          「お母さん、ええ時計が欲しい」 「ファッション兼体調管理用!」 「センスと機能を重視するから」 パルスオキシメーター買おうかなーという母上のメール。 まぁね、近頃の感染症が気になるのは当たり前の年頃。歳の頃ならしっかり高齢者枠の68歳。血中酸素濃度は気になっても仕方ない。それなら仕方ない。けど。 コマーシャルを見ていて欲しくなったらしいセンスの塊 Apple Watch。んなアホな。 (パルスオキシメーターといえば良いと思ったのか) 40過ぎの私でもiPhoneに四苦八苦

          ホンモノを知ってしまった68歳

          最愛の春日先生

          今朝の5時に母からメールがはいった 「昨日いうと心配すると思ったから言わなかったけど」とあるから、何事かとおもえば近所の犬がマムシに噛まれたらしく救急搬送をしたそうで。 68歳になる母は目が悪く去年白内障→レーシック。 夜は運転するなとこっぴどく娘に言われるからよほどのことがない限りは運転はしない。もちろん飲むし🍺 21時にトイレに行った近所のわんちゃんはマムシに噛まれて悶えている。真っ暗な田舎の道を40分。それは察するに彼女には地獄の痛みだっただろう。搬送しない手はない

          最愛の春日先生

          パンツの形のおにぎらず

          実家に帰ってアイスばっかり食べてるわたし。 母の手料理は絶品、そして完全無農薬。畑で朝から採ってきたお野菜たちを湯がいたり揚げたり炒めたりする。 絶品手料理の合間のアイスクリームは一日6個まで。 アイスを食べて口の中はお砂糖の大パレード。ディズニーランドを凌ぐ勢いの甘さたちの共演。そこにくるシンデレラのような、パレードを遮る圧巻の存在感の野菜たち。ガラスの靴はなくても幸せになれる塩気。 お気に入りは揚げ浸しと炊き立てごはん。 母はご飯を食べない。ビールが好きだから。わたし

          パンツの形のおにぎらず

          ノーゲームとか。

          わたしは高校野球が大大大好きなのであーーーる! 父の叔母が神戸に住んでいて、甲子園球場まで20分というなんとも素敵な立地にいるから。いるから?子供の頃の夏休みは神戸に行きたくて仕方なかった。その頃はもちろん甲子園などという目的はなく、三ノ宮の地下街(サンチカ)とikariのスーパー(今ほど高級でもなく)と、大丸のお買い物に連れてってくれる大叔母が大好きだったから。 だって何でも買ってくれるんだもん!子供ながらにまだ高貴な仕事をしていた大叔母の家にでぱーとのひとがきて、きれい

          ノーゲームとか。

          恥ずかしくて誇らしい

          わたしの自慢の母は貧乏性である。それはそれはもう友達なんかに見られたらどーするんだ、レベルの。田舎の我が家は冬になるとストーブを何台も炊く。ストーブのうえには所狭しと並べられるヤカン。この家の蒸気と湿度はこのヤカンたちに委ねられていた。 そして沸々と、次から次へと沸いたお湯たちは水筒にいれられる。子どもの頃使い続けていたサンリオの水筒から、お父さんが使っている象印まで幅は果てしなく広く水筒の数は10を超える。保温性など期待できない骨董級の魔法瓶。 それをどうするか、って。

          恥ずかしくて誇らしい

          亡き父の珍・名言

          「おかーさんが美人やからや!」 何ごとかと飛び起きる後部座席のわたし。 車の運転が大好きな父は家族を引き連れてよくドライブに行く。母は「家のことがしたいのに」と嘆く笑。いやいやいやいや、出かけたいわたしはやり取りを見守る。 わがままな少年にかえった休日の父は負け知らず。 母が折れてどこかに出かけるハメになる(ラッキー!) なかなかな遠出をするものだから、帰り道の30分くらい運転代わろうか?と名乗り出る母、秋子。 疲れてるわけでも代わってほしいわけでもないのだけれど運転ド下

          亡き父の珍・名言