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「ブランド化されてないブランド力で商品展開」するライトノベル ~ゲーム雑誌の歴史から見える、今後の展開とは


■「ブランド化されてないブランド力で商品展開」する

『千歳くんはラムネ瓶のなか』の福井市コラボに関して、完成度の低さから突っ込み所満載だった。

何が一番変かというと、クリアファイルのこちらである。

目線、スマホの位置など構図を見ても変だが、一番変というよりも異質なのはブレザーを着ていること。

そう背景は花火と夏に対して、キャラクターはブレザーだけに冬服と季節が合っていない。それだけにジオラマアクリルスタンドも同様の問題を秘めている。“夏を感じさせるグッズの数々”と謳っていながら。

この作品は福井市をモデルにして、実際にもコラボしているだけに、背景の場所では夏以外、花火が打ち上げられることはまずない。また、夏場にブレザーを着ることもない。夜だから、極端に寒くなるわけでもないから。
作品はフィクションとはいえ、これでは嘘でしかない。

ちなみに背景の花火は福井フェニックスまつりの一環であり、今年は8/18から行われる。そして、そのポスターには花火とブレザーの組み合わせが使われている…

なら、このような間違いが生まれたのか?

答えはシンプル。元々、キャラクターの画像は春に桜並木を歩く際に使われていたモノを使い回し、再利用したからだ。

夏に対して冬服を着るのもそうだが、各キャラの体勢、構図も花火に対して合っていないのも、これが理由となってくる。

再度言うと、『千歳くんはラムネ瓶のなか』の福井市コラボは完成度が低い。画像の使い回しは駄目とは言わないが、常識と照らし合わせても整合性も取れていないのは作品ファンでなくとも、地元の人からしてもおかしいとしか思わない。
更にはこのような問題があるモノを、商品として売り出すのはいかがなものだろうか。

このグッズを作った人達は作品、強いては読者、ファンも舐めていないかと、ボブでなくとも訝しんでしまう。

では、なぜこのような失敗になったのか?
これに関しては、裏取り、直接証言を得る方法もできそうだが、今回は次の話題に触れる導入部なので一つの証言だけに留めておく。

この発言を受け取れば、企画した側がデザインを監修しているのは間違いないだろう。なら、本来権利を持つ出版社側がこの企画に対して、どれだけの意見を言えたのか。いや、管理、そもそも、連携がされていたのか?

このように出版社サイドと別側の連携が上手くいってないケースは、同レーベルの別作品からも見かけることができる。

『月とライカと吸血姫』のコミカライズに対して、作者が継続をするために動いている。作者が継続を訴えることは何も不思議ではない。
だが、出版社との仲介をしますので、作者にご連絡というのは一般人からすれば、構図が変と感じることだろう。

作品の権利は作者が持つとはいえ、こういった雑務の窓口は編集者の仕事ではないかと?

更にツッコミを入れると、Tweet内の画像にしてもメモ帳で書かれたモノをスクリーンショットしているのが明確に分かる。更にはカーソルまで残っている。このようなに責任、金銭などが発生する募集に対して、いささか誠実さが乏しく感じてしまう。
それだけに画像一枚だけでも、編集者しいては編集部と上手く連携が取れているのか、読者側が不安を感じてしまう。

さて、この双方を比較すれば見えてくる様に、どちらの作品も出版社が作品のブランド管理ができていない。

『月とライカと吸血姫』はアニメ化、ブランドとしての賞もとっている。『千歳くんはラムネ瓶のなか』もアニメ化には至っていないが、ライトノベルでは強力なタイトルホルダーである。だが、コミカライズにしても他社で行われている。これはどちらもいえる話だが。
本来、どちらも作品タイトルだけでもブランド力がある。

しかし、一方ではコミカライズの計画頓挫、また新規コミカライズ担当窓口が作者になってる。もう一方ではキャラクター管理で致命傷な間違いを犯す。
それだけに出版社、編集が管理をしていないだけにブランド化されてない印象がある。

このようなブランド化されてないモノのブランド力に依存するのは、様々なところで見受けられる。農業、畜産などでもそうだが、皮算用での町おこしがなんかでも見受けられる。

SNSで大炎上の移住者カフェなども今回とリンクする点がある。
確かに今回の話からはかけ離れている様に思えるかも知れないが、比較して考える点は多い。もっとも、話題性から例に出しやすい点が大きいのだが。

実際、『千歳くんはラムネ瓶のなか』などは福井市とコラボしているだけに少ない経費で最大の宣伝効果を得ようと感じられる。冒頭で語った、花火に対してブレザー画像の使い回しがそうだろう。もっと言えば、桜を見る画像がそのまま花火に置き換えられている。
そして、それを止められなかった本来、権利を持つ側の出版社。

別のnote記事からも、同レーベルのガガガ文庫に対する不信感を示すかのような作家の記事を見かけた。
よく編集は仕事をしないというが、ブランド力がありながらブランド化しないのは商機を完全に見逃している。これは仕事しないレベルの話ではない。

それだけに私の中で、昔出ていたゲーム雑誌と繋がって見えた。

■ゲーム雑誌の歴史からみる、昨今とは

「ゲーム・オン!」、「覇王マガジン」というゲーム雑誌をご存じだろうか。

「ゲーム・オン!」は小学館から、「覇王マガジン」は講談社から、どちらも1993年に創刊されたゲーム雑誌。そして、休刊自体も似た時期になる。

創刊に至った理由は、おそらくは次世代ゲーム機の登場、他出版社の新ゲーム雑誌の創刊ラッシュなどであったとされる。
実際、角川のお家騒動から独立したメディアワークスが創刊したゲーム雑誌、「電撃王」が1992年である。

「電撃王」も10年で休刊に至るが、この雑誌から派生したモノは今日にも残っている。そして、ゲーム雑誌ではあるがライトノベル業界からみても、「電撃王」の存在は今日に至るまで大きい。

さて、小学館にしても、講談社にしても、1993年に創刊されたゲーム雑誌は結局の所は周囲、他の出版社から遅れないように、その部門を作ったのだろう。だが、失敗という結果だが。
その反面、「電撃王」も休刊に至っても、そこでの地盤というのは生き残っている。

だからこそ、歴史を見ればゲーム雑誌を創刊、すぐに休刊であっても存在自体は無意味ではなかった。

さて、「ガガガ文庫」と「講談社ラノベ文庫」というライトノベル・レーベルがある。この二つも少し時期はずれているが、同時期にライトノベル業界に参入している。そして、その経緯が似ている。更には出版社も小学館と講談社である。

レーベル創刊の趣旨はどちらも、キャラクター展開が中心となるような新しいコンテンツの確保、つまり、メディアミックスを念頭にしている。
そして、ガガガ文庫は『月刊IKKI』編集長が立ち上げスタッフに。講談社ラノベ文庫は文芸局でなく、漫画を担当する第三編集局に置かれている。
ライトノベルでありながら、どちらも漫画部門から派生している。メディアミックスが軸にある以上、何もおかしな事ではない。

これらは公開されている情報を書きだしているだけに、実際の背景は多少は違ってくる部分はあるだろう。
それでも「ゲーム・オン!」、「覇王マガジン」は「ガガガ文庫」、「講談社ラノベ文庫」と経緯の方向性が似ている。

しかし、出版社内のヒエラルキー、縦割りや部署間の交流の少なさが問題となっていると聞く。そして、小学館、講談社とも、漫画だけでなく様々な雑誌を出している。
そうなると新設部門がどこまで動けるのか。また、その際に別部署から異動してきたスタッフの士気はどうだったのだろうか。

ここらは実績でみてみると分かりやすいだろう。
講談社のライトノベルにどこまで積極的かは分からないが、コミカライズ化は積極的にみえる。講談社ラノベ文庫のスタートからも明確にされていた部分だ。そして、コミカライズでのアニメ化も押している。

ただ、講談社ラノベ文庫としての成果としてみた場合は、これらとは少し違って見える気がする。また、コミカライズのアニメ化といっても『転生したらスライムだった件』など、自社IPを使ったモノばかりでもない。そして、コミカライズにしても他社のIPも多く使っている。

それでも小学館とは明確な差と感じる。部門が漫画を担当するに属するだけのことはある。
そして、小学館の場合は冒頭から語って通り、「ブランド力がありながらブランド化しない」、ここが先に語った事がここに繋がる。

例えば、小学館の漫画作品『葬送のフリーレン』のテレビアニメ初回放送は『金曜ロードショー』で2時間スペシャルとして放送される。この枠で放送するという事は、編集者、いや社内でどれだけの労力がかけられたか想像に難くない。
正に「ブランド力のブランド化」をしたといえるだろう。

それだけにライトノベルレーベルにしても周囲から遅れないように、その部門を作った感がある。
そして、「ブランド力がありながらブランド化しない」のは、他社のブランドには無理に勝つ必要性もないからではないか。
また、出版社内のヒエラルキーがそれを妨害しているのかも知れない。

ここは私の邪推でしかない。しかし、「ブランド力がありながらブランド化しない」理由とした場合、納得が出来る話である。

それにガガガ文庫内だけでなく、ライトノベル業界全体でブランド力がある作品を持ちながら、小学館自体がコミカライズしないのも納得できない話である。

実際、長くから漫画部門を持つ出版社にとって、ライトノベル部門は下に見られている可能性は高い。売り上げだけでも証明しているだろうし。
逆に「電撃王」の場合は、独立したメディアワークスが創刊した雑誌である。お家騒動で作家を引き連れ独立したとはいえ、土場がない所からのスタート。この差が明暗を分けたのかも知れない。

それでも、出版社にとっては少し前までライトノベル部門を自社で持つ意味は損得抜きではあったはず。

■今後の展開と観測ポイントは

ガガガ文庫はライトノベルレーベルに新規参入した様に表現されていたが、小学館に過去にスーパークエスト文庫があった。それ以前に休刊したレーベルだが。

そして、メディアミックスの形も今は大きく変わっている。アニメだけでみればライトノベル原作も多いとはいえ、実写化、アプリ化、またはネット配信独占タイトルなど昔以上にメディアミックスの形が変わっている。

ついでにパチンコ遊技機で作られるのも、今ではメディアミックスの一つと言えるか。ただ、パチンコと馬鹿には出来ず、『牙狼-GARO』というコンテンツが今日まで継続できた背景にはCR機での人気は外せない。
実際、有名なライトノベル作品の多くがパチンコ遊技機が作られている。

メディアミックスではないが、今の出版社業界としてはウェブトゥーンの存在もある。
これはライトノベルにとっては天敵に成りかない、制作スタイルである。実際にここへ流れている編集者、作家も多いのは様々な情報から証明されている。

それだけに「ガガガ文庫」、「講談社ラノベ文庫」の創刊趣旨は今、揺らいでいる。メディアミックスの形が変わっているのだから。そして、「ブランド力がありながらブランド化しない」のは、その証明と捉えられても仕方がない。
本来、メディアミックス、「ブランド力のブランド化」であったのだから。

それだけに、同時期に出たゲーム雑誌、「ゲーム・オン!」、「覇王マガジン」はどうなったのか?と見ると答えは自ずと出てこよう。
それだけに過去を照らし合わせて、今後を見ていくことで今後の展開が鮮明になっていくだろう。

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