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「善く生きる」ってなんだろう?

ぼくはまぁなんやかんやあって、「善く生きる」というのを心がけて生きたいなぁと思うようになりました。

で、その「善く生きる」という抽象的な言葉ですが、実際どう生きるってことなんだい?って自分でもよくわかってないし、ふわふわしてたんで、今回それを少しでも形に、文章にできたらいいなぁと思ってやっていきます。

今までは「善く生きる」って具体的にどんななの?って聞かれたら、ふわふわこんな感じで答えてましたー

「うーん、困ってる人がいたら助ける的な?おばあちゃんに席譲る的な?昔話に出てくるいいお爺さんと悪いお爺さんなら、いいお爺さんのように生きたいなぁみたいな?」

こう、なんとなく言いたい雰囲気はわかってもらえると思うんですけど、いまいち自分の中でもふわふわしちゃってました。

そんでね、まぁなんやかんやあって、前に見てめちゃくちゃ自分の考え方が変わった、100分 de 名著のスピノザの「エチカ」の回を今日見直したんですよ。

そしたら、スピノザ哲学をベースにすると「善く生きる」をもっと具体的にわかりやすく言語化できそうだなぁと思ったので、今日はそれをやっていきます。

おそらく今後また、「善く生きる」ってなんだっけ?ってなると思うので、そういうときに自分でこのnoteを読めたらいいかなーってそんな感じっすー

そんじゃまずは結論からいっちゃいましょう!

ぼくにとっての「善く生きる」とは、大きく分けて以下の2つになります。

・自分で自分の活動能力を高める
・自分の行動で自分と他者(あるいは社会)の活動能力を高める

はい、これを今から説明していくぞー

まず、スピノザ哲学においての善悪からです。

スピノザは絶対的な善悪は存在せず、組み合わせの問題だとしました。

音楽の例で言うと、音楽は傷ついた心を癒したり、場を盛り上げたりしてくれます。

そういった場合は善い方向に作用しますが、そっとしておいてほしいとき、静かに集中したいときなどはかえって邪魔になってしまい、悪い方向に作用します。

また、耳が聞こえない人にとっては、善くも悪くもないものです。

このように同じ音楽でも善か悪か、どちらでもないかが変わってくるわけです。

よって、「善く生きる」というのも「絶対的にこういう生き方を指すもの」だとは言えません。

組み合わせの問題なのです。

では、自分にとっての「善く生きる」組み合わせとはどういったものなのでしょうか?

スピノザは、そのものにとっての善いこととは、活動能力を増大させるものだとしました。

また、活動能力が高まっているときに喜びを感じるのだそう。

ぼくは友だちや家族と話したり、アニメや読書や写真や旅がすきなんですが、これらのものはぼくの活動能力を高め、喜びを感じますね。はい。

なので、そういう趣味を楽しむことは、自分の活動能力を高め、プラスな感情を抱き、善く生きることの一つと言えるでしょう。

また、活動能力を高めるのが善いことなのですから、睡眠・食事・運動という生物として基本的なことも、善く生きることにおいて大切になると思います。

これらのことは「自分×自分の行動」という組み合わせにおいて、活動能力を増大させ、善く生きることを目指すものです。

もちろんこれも「善く生きる」の一つです。
これからもやっていこうと思います。

そこに加えて、「自分の行動×他者」という組み合わせでも、善く生きることを目指そうと思います。

こちらの方が善く生きるという言葉のイメージに近いかなと思います。

最初のぼくのふわふわな答えにあった、おばあちゃんに席を譲るといった場面ですね。

自分の「席を譲る」という行動が、おばあちゃんとって、活動能力を増大させる方向に向かえば、それは善いことなのだと思います。

おばあちゃんが喜んでくれたら、ぼくもうれしいですし、win-winなわけです。

他者が絡む場合、このwin-winという関係が重要かなと思います。

このぼくとおばあちゃんの場面ですが、仮に自分の体調が悪かった場合、席を譲るという行動によって自分の活動能力は減退します。

それは、自分にとって善いことではありません。

おばあちゃんにとって善くても、自分にとって悪いと、win-loseになってしまうわけです。

ぼくはこれを、善く生きるとは言わないのではないかなと思います。

自己犠牲という土台では、持続可能性が低いですし、シンプルにつらいです。

また、逆パターンもあります。

自分は元気で、目の前のおばあちゃんに席を譲ろうとしたとしても、おばあちゃんは気を遣われずに立っていたい、という場合もあるでしょう。

この場合、おばあちゃんを無理に説得して席を譲る必要などないと思います。

それは、お節介やありがた迷惑というやつです。

他者が絡む場合、双方の活動能力が増大する限りにおいて、つまりwin-winである限りにおいて、善いのだと思います。

席を譲ったり、なにか誰かに親切をして感謝されたことがある人ならわかると思いますが、あのなんとも言えない照れくさいような、あたたかく和んだ雰囲気を大事にしていきたいです。

ということで、ぼくにとっての「善く生きる」は、最初に出てきた以下の2つになります。

・自分で自分の活動能力を高める
・自分の行動で自分と他者(あるいは社会)の活動能力を高める

今まですげぇふわふわしてた「善く生きる」ですが、ぼくはこの2つを自分にとっての「善く生きる」ととりあえず定めて、生きていこうかなーと思いまーす。

うん。びゃーっと書いてきたけど、自分の中ではいい感じに整理できた気がしますねー

もしよかったら、まずは100分 de 名著見てみてくださいね〜

ってことらしいから未来の自分よ、善く生きるんだゾ

読んでいただきありがとうございます! ところで、カナダのブリティッシュコロンビア大学の研究によると、人のためにお金を使うと、自分の幸福度が高まるそうですよ(乞食)