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乙女心の今昔。千年の時を経ても、人の心は変わらない

「現代の女の子が感じている「気持ち」をテーマに、同じような気持ちを表現した古典和歌作品を「オトメ語」に訳して紹介」

私は、この「オトメ語」が好きだ。
細かい文法に囚われ、古典は難しくてつまらないものだと思われがちだが、「オトメ語」に訳された途端にわかりやすくて、身近なものに感じられる。

『オトメの和歌』は、表紙から雅やかだ。
乙女心をくすぐる撫子色に桜の花、蝶は優雅に舞い、大輪の花が華やかさを演出している。

期待に高鳴る鼓動を抑えつつ表紙をめくれば、そこには現代と変わらない、
恋に胸を躍らせ、思い通りにならなくて悩み、悲しみに打ちひしがれ、美しい物事に感動する、千年以上前のオトメの心が在る。

三十一文字という短い言葉の中に想いを詰め込んだ和歌は、まるで宝石のような輝きを持っている。

仁徳天皇の后である磐姫皇后は、
「君が行き 日長くなりぬ 山たづね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ」
という歌を詠んでいる。
出掛けて行った仁徳天皇に、いっそのこと自分から逢いに行ってみようか、それとも、もう充分に待っているのに、まだ待ったほうが良いのかしら、という、不安と苛立ちの伝わってくる歌。

この歌の後には、
「かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の 磐根し枕きて 死なましものを」
という歌が続く。

『古事記』や『日本書紀』では、磐姫は大変嫉妬深い女性として描かれる。仁徳天皇は次々と別の女性に求婚していく。磐姫が承知しないとわかれば、磐姫が宴に使う葉を取りに行った隙に新しい妃を迎え入れてしまう。
磐姫が迎えに行こうかと悩むのも、わかる気がする。

大伴坂上郎女は、
「恋ひ恋ひて 逢へる時だに 愛しき 言尽くしてよ 長くと思はば」
という歌を詠んでいる。
恋焦がれてせっかく逢えたのに、もっと優しい言葉をいっぱいかけて、末永くと思うのなら・・・・・・という恋の歌だ。
藤原麻呂との結婚が間もなく破綻した大伴坂上郎女にとって、きっと
「長くと思はば」というフレーズは、切実な思いだったのだろう。

恋に一途で、純粋で、不器用で。現代にいたっておかしくないオトメたち。
今も昔も、人の気持ちは変わらないのだと、『オトメの和歌』を読んでいると感慨深い。同時に、なんだか親近感が沸き上がる。
千年も前のオトメたちと、和歌を通じて心を通わせているかのように錯覚してしまう。

この本は、ずっと昔の人と心を通わせる、その第一歩を踏み出すためのものなのだ。

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