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今宵はブルームーン(後編)

大きな窓の外には青く輝く月が浮かんでいた。
ぼうっと見惚れていると、神秘的な青色をしたカクテルが私の前に現れた。
鯉夏「ブルームーン。あの珍しい月と同じ名前さ」

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香澄「ブルームーンかあ。青い月もカクテルも初めて見ました」
鯉夏「月は大気中の塵の影響でああやって見えるんだ。火山の噴火後や隕石が落下した時に発生するガスや塵によって曇って青く見える。だから滅多に見れないんだ」
香澄「へえ〜。って噴火あったんですか?この辺で」
鯉夏「あはは。安心してよ。ここでブルームーンのお酒を作ると、この街の月は青くなるんだ。今宵は皆、月を見ながら「叶わなかった恋の思い出」に浸りつつお酒を飲む。大人の飲み日だよ」
香澄「なんか、鯉夏さんはロマンチックですね」
私は出されたブルームーンを一口飲んだ。甘い柑橘系の香りが口の中へ広がる。
強いアルコールが心の傷に染み込んで、じんわりと悲しい気持ちが広がっていくようだった。
鯉夏「カクテル言葉は「叶わぬ恋」。恋愛は惚れた腫れたの愛情劇。幸せで悲しい気まぐれの情緒模様…ってね」
鯉夏さんは落語のような語り口調で話す。
香澄「私は悲しいことばかりです…傷つけるし、傷ついてばかり」
鯉夏「人に依存して傷を埋めようとしても、結局同じ傷の繰り返しさ。そんな香澄さんに、傷を癒す特効薬をあげるよ」
香澄「え…?」
鯉夏さんはそう言うと、どこから取り出したのか年季の入った小さなノートを取りだし、鉛筆を握った。
鯉夏「これが香澄さん」
彼女はノートを広げ左ページに私の似顔絵を描く。そしてそこから何本も枝を張り、また似顔絵を描く。
鯉夏「優子さん、土屋くん。こっちは人間関係。ここから連想するのもを沢山書いてみて。例えば優子さん、元恋人、外資系コンサル、アル中…」
鯉夏さんは話しながら私の似顔絵から枝をどんどん張り巡らせていく。すると右ページにも枝を伸ばす。
鯉夏「こっちは香澄さんのやりたかったこと、やってみたいことをひたすら書いてみて。そこからまた枝を張り、同じように連想するもの書く。できるだけ想像してね。で、描き終わったら全体を見て、やれることがあるかじっくりと吟味してみる」

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香澄「これは…?」
鯉夏「人生を創るノートさ。新しいカクテルのレシピみたいにね」
ノートの表紙を見ると「素敵な人生は素敵なあなたから生まれます」と書かれている。
鯉夏「あ、そうそう、ブルームーンにはもう1つカクテル言葉があるんだよ」
香澄「もう1つ…?」
鯉夏「奇跡の予感、だよ」
鯉夏さんはニッコリと微笑むと指をパチン!と鳴らした。


私は病院の簡易ベッドで土屋に見守られながら目を覚ました。
10分ほど気を失っていたらしい。ああ、こっちが現実か。優子が私のせいで死んでしまうかもしれない方が現実か。ああ、目を覚さなければ良かった…。と心底絶望した。
安藤さんは気まずそうな顔をしながら謝ってきた。私は精一杯首を横に振ることしかできなかった。
時計の針が単調に時を刻む。その1音1音が、どんどん心に不安を募らせていく。再度呼吸が乱れそうになったが、土屋がすかさず背中をさすってくれて、なんとか保っていられた。
その手の温かさと、遠い記憶に眠らせた優しさは、黒く濁っていた思い出を少しだけ元に戻してくれた気がした。

しかししばらくすると、不安の波が押したり引いたりして、泳ぎ疲れた心が息継ぎのリズムを乱し始めた。そこへ白衣を身に纏ったおじさんがやってきた。彼は「あ、もう大丈夫〜」と重い我等の空気に、軽い言葉を据え置くと、ぼりぼりとお尻をかいて廊下を歩いていった。
ポカンとしていると私たちの前で2人の看護師がガラガラとストレッチャーに乗った優子を運んでいく。
安藤さんは「優子!」と叫ぶと走り出した。
私も走ろうと足に力を入れたが、その途端腰を抜かして崩れてしまった。
膝を打ったが痛くない。それよりも、優子が無事でいてくれたことで、こちらの命も救われた。不安が一気に溶け出して、その水が目から溢れ出す。
ふと前を見ると「素敵な人生は、素敵なあなたから生まれます」と書かれたノートと鉛筆が置いてあった。
私は驚いてあたりを見渡したが、鯉夏さんはいるわけがない。
私はその不思議なノートを手に取り、鯉夏さんが言っていたことを思い出した…。

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あれから3ヶ月経った。
私は会社に退職願いを提出した。人事は驚いて、根掘り葉掘りと理由を聞いてきたが、私は少し笑いながら明るく答えた。
香澄「いつも自分より、周りの意見や目を優先して生きてきました。でもこれからは何もない私から、何かを生み出してみようと思います」
噂好きの女子社員たちが私を見ては、わんわん、フガフガと話をしている。ペットショップでひたすら運命の相手を待ち続ける若きトイプードルたち。きっと彼女たちの目には脱走した1匹の哀れな犬が映っているのだろう。
今までだったら気にしていたことが、不思議と小さなことに思えて、私は会社の保守的な空気を切り裂くように、凛とした姿勢で出口へと向かった。

それからすぐ下町にある、小洒落たお花屋さんで働き始めた。
アンティークな雑貨や、木造の造りがどこか鯉夏さんのバーに似ているのだ。
スミレの香りが漂う店内は、落ち着いた心地の良い時間が流れている。
「フラワーアレンジメントの資格勉強、将来は教室を開きたい」
私はレジのカウンターで鯉夏さんからもらったノートにそう書いた。
自分を磨いていけばいい。磨き続けていたら、きっと奇跡だって自分から作り出せるかもしれないのだから。

その時、店のスライドドアを開けて、長い脚を伸ばしながら優子が入ってきた。
優子「新入社員用にアレンジお願い」
優子はそう言うと、カバンからノートを取り出し私に見せつけた。
優子「見て。結構順調に叶ってるよ」
それは私が優子にあげたノートだった。鯉夏さんが私にくれたノートと同じように優子に説明してプレゼントしたのだ。
優子の顔色もオーラも、太陽のような明るい色を放っている。
もう少し時間が経てば、また一緒に飲みに行けるだろうか。友達として。そして、元恋人として。


「恋愛で傷ついたら、悲しみを埋めるため癒しを求めるより、自分を見つめ直す時間が必要なのかもしれない」

*エピローグ

香澄さんにあのノートが好評で良かったよ。
ちなみにあれは「マインドマップ」と呼ばれる発想、思考法さ。
私も時々やるんだけどね。今の状況が整理できて、やるべきことが見えてきたりするんだ。
ちなみに香澄さんは、優子さん以外にもう1人、同じノートを渡していたみたいだよ。
ここの窓から夕暮れ雲が見えるだろう?ちょうどその人が映ってるから、一緒に見てみようか。

ノートを広げて何かを書いているのは、土屋くんだね。
マップには「俺、奥さん超大事、香澄やっぱり大事」しか書かれていない。もっと想像力を働かせて欲しいものだね。
土屋くんは悩ましげにカウンターに腰掛け項垂れている。
そこへ呆れた顔をした安藤さんが、ハイボールを出す。
安藤「ここに来たって香澄さんには会えませんよ」
土屋「ちげえよ。俺はね、ただ居場所が欲しいからここにいるだけなの」
安藤「ここゲイバーですけど。ま、居場所が欲しいなら構いませんが〜」
安藤さんは瓶ビールを自分で注ぐと「ごちでーす」と言ってゴクゴクと飲み始める。
安藤「土屋さんは香澄さんのどこに惚れたんです?」
土屋「え?うーん、なんか、全部俺色になってくれそうなとこ?」
安藤「最低野郎ですね」
土屋「なんで?」
安藤「自分の都合のいいようにしたいならAI機能のついたダッチワイフでも抱いてりゃいいんですよ」
土屋「おおー想像力豊かだねえ安藤くん」
土屋くんはノートに「ダッチワイフ、大事になるかも?」と書き足した。
安藤「すごい。本物のバカ初めて見ました」
土屋くんはさらに「ゲイバーの安藤」と書き足した。
安藤「なんで俺も書くんです?」
土屋くんはさらに書き足す。「大事になるかも?」

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安藤「あはは〜やめてくださいよ気持ち悪い〜」
土屋くんはどこか寂しげな顔をすると、急に真面目に話し出す。
土屋「…俺もさ、変わりたくて」
安藤「はあ…」
土屋「俺も自分がやれることを見つけたい。だから、ちょっとこのノート書くの手伝ってよマジで」
安藤くんはため息をつきながら鉛筆を取って、代わりに書いてあげてるよ。
さてさてこの2人のご縁の行方はどうなるのやら…?


おっと、入り口の鈴が鳴った。
お酒の支度をしないとね。
鯉夏「いらっしゃい。今日も同じのにするかい?」
スミレの香りを漂わせて、生き生きとした顔の香澄さんがカウンター席に腰掛ける。
香澄「はい。ブルームーンで」

今宵も月は青色に染まり、街の住民は美味しいお酒に酔いしれながら「奇跡の予感」を期待しているよ。


(次回は来週更新予定♪月曜夜は飲みませう🍷)

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