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甘ない、しょっぱいチョコレートや(後編)

不思議なこともあんねんなあ。
大正レトロな内装に大きな古い時計。満面の星が見渡せる広い窓に、琥珀色に輝くランプ。バーテンダーの鯉夏さんがシェイカーをシャカシャカとふる音は、なんや耳たぶが心地よく振動する。


鯉夏「ソルティドッグ。飲んだことあるかい?」
鯉夏さんはグラスのふちに白い砂糖?塩?がついたカクテルを私の前に出した。

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私な、なんやろて思って人差し指でそれを拭き取って口に入れて。
美恵子「しょっぱい。塩やんけ」
鯉夏「あーダメだよ、お酒と一緒に飲むんだよ」
恵美子「あ、そうなん?おしゃれすぎてわからへんわあ」
鯉夏「ソルティドッグはイギリスのスラングで甲板員って意味なんだ。汗だらけで犬のように必死に働く姿からそう呼ばれたんだ」
恵美子「だから塩がついてんねんな」
鯉夏「カクテル言葉は「寡黙」。ほんとは寡黙な堅志郎くんにぴったりかなって」
恵美子「寡黙?堅志郎はおしゃべりボーイやで」
鯉夏さんはニコニコ笑いながら話し始めてな
鯉夏「聞いた話、堅志郎くん、ホワイトデーの日に乃木さんに告白したみたいだよ」
恵美子「ええ!あ、あの1組の、勘違いしてた、乃木さん」
鯉夏「堅志郎くん、チョコレートくれたのかと勘違いしてるうちに惚れちゃったみたいだね」
私はソルティドッグとかいうお洒落なお酒を一口飲んだ。
グレープフルーツの酸味が塩に合う。はあ〜海の景色が広がるようや…ってそうだ、堅志郎の話題やった。大事な話なんに忘れるとこやったわ。
恵美子「まあ、あの子は女の子と5秒以上話すと大体惚れんねん…。ああ、わかったわ。それでフラれて傷ついて口聞いてくれへんのか」
鯉夏「それがね、妙な告白をしたんだよ」
恵美子「妙…?」
鯉夏さんはポケットを2回叩いてな。
そこから1枚の紙切れを取り出してん。桜の花びらの絵柄の手紙でなあ。鯉夏さんはそれを綺麗に折り畳むと、手のひらに乗せて窓の外に向かって「ふう」って吹いたんや。
鯉夏「本来、渡したかった人のもとへと送ったんだ。一言でも伝われば、人の関係は変わるからね」
鯉夏さんが吹いた白い紙は星空へ鳥みたいにふわって上がってってな。満点の星空の中、どんどん吸い込まれるみたいに小さくなってった。
鯉夏「恵美子さん、ちゃんと起きててね。お酒で眠っててチャイムに気づかなかったら、またここに呼び戻すから」
恵美子「チャイム?なんのことや」
美味しくてあっという間に飲み終わってしまった。
あ、これはガブガブ飲むものじゃないねんな。


もう一杯…と思って鯉夏さんをみたらな、ホンマ信じられへんかもしれんけど
家に戻ってたんよ。
目の前にあるのはいつものやっすい焼酎。
しばらくあたりを見渡したんやけどね、家なの。当たり前やけど。
でも口の周りを、舌で一周ぐるりと舐めたらなんやしょっぱいの。
あれ、私やっぱさっきまでバーにいたわ。
そう思った時、家のチャイムが「ピンポン」って鳴ってな。
あれ、さては堅志郎鍵を忘れてったのやろか?なんて思いながら扉を開けると
そこにはおばキューみたいな唇の太い男の子がヌボーっとた顔してそこに立っててなあ。

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なんやろなあこの生き物はあ、って思ってつま先から頭の癖毛まで見たんよ。そしたら
俊吾「あ、僕、バスケ部の俊吾って言います。あれ、堅志郎くんいます?」
あ、俊吾、俊吾ってあの、チョコに爪入れられてた子か!
話だけは昔っからたくさん聞いてるわ。はあ、こんなおどけた見た目しとったんかあ。
恵美子「まだ帰ってきてへんのや」
俊吾「えー、ああ、じゃあこれ…」
おばキューはそういうとくしゃくしゃになった袋を取り出して私に渡した。
俊吾「忘れ物…です」
恵美子「なんやこれ」
俊吾「堅志郎が帰ってきたら聞いてください。じゃ」
そう言うと、おばキューはこちらに背を向けた。が、立ち止まったまま帰らへん。
しばらくそこにおるからツッこまれるの待ってるんかと思って、しょうがなく口を開こうとしたら
俊吾「堅志郎て、寡黙やないですか」
って。

恵美子「え?…堅志郎はおしゃべりやで?」
おばキューは私の顔をじっと見てから話し始めてな。
俊吾「アイツ、いつも帰る時、ネタを5つ作るんですよ。お母ちゃんが笑うネタが欲しいねんてゆうて」
恵美子「…」
俊吾「いつも家に帰るときはコントのライブが始まる感覚と一緒やってゆうてました」
恵美子「家が小劇場なん」
俊吾「お母ちゃん、泣いてばっかやったから、笑って欲しくて始めたそうです」
恵美子「え…」


そういえば、あの子、昔は無口な子やった。いつからかお喋りになって、学校から帰ると真っ直ぐにキッチンに来てマシンガンのように喋りまくる。
よう考えてみたら、ああ、お父ちゃんがでてった時らへんからや。
あの子はもしかして、私のためにわざとお喋り堅志郎になってたんか…私が泣かんように、寂しくならんように…

俊吾「でも、乃木さんにフられてから、ネタが思いつかんくなったそうです」
私はハッと我に返った。
恵美子「あ、なんや妙な告白したって…」
俊吾「あれ?聞いてたんですか?アイツすごい度胸ですよね」
恵美子「なんて言ったん?」
俊吾「え、そこは知らんのですね。
乃木さんに乃木さんが作った本物のチョコレートが食べたいねんって告白したんですよ。断られたそうなんやけど、足にしがみついて、必死にお願いしたらオッケーしてくれたみたいです」
…今までのどんな時よりも息子が哀れに思たわ…。
俊吾「その結果がこれです」
おばキューは私に渡した袋を指さした。
俊吾「人は何かを失うと、何かを得るのですね」
恵美子「は?」
おばキューは何かを悟ったようにそう言ったんやけど、多分真面目に言ったんやけど、唇がぱくぱくしてて、どうしても刺身で出された魚を彷彿させんねん。
俊吾「堅志郎は、ネタが思いつかんくなった代わりに、これを作る才能を得たんです。ほんま、これ、渡せてよかったです。では僕はこの辺で」
おばキューはお辞儀をすると、短い足を動かしてペタペタと早足で出て行ったわ。
戻ってきたらツッこもうかと構えてたんやけどね。そのまま郷に帰ったようやね。
袋の中をチラリと覗くと、くしゃくしゃになった手紙と雑にリボンが絡まった箱が入っててな。
すぐ、堅志郎が作ったんやって分かったわ。
ごめんなあ、と思いつつも手紙をみてしまうのが親や。
親はだいたい見れそうな子供宛の手紙は見る。
シールとか貼られてたら別やけどね。そうじゃなきゃ見ろってゆーてるものやんか。
そしたらな、くしゃくしゃの手紙の表紙にな「母ちゃんへ」って書かれててん。

ああ、これ、私宛なん?って、これ多分チョコレートやん。堅志郎が作ったん?
なんで今…。

私はハッとしてな。もうこの歳になると自分の誕生日なんて忘れてしまってな。
今日やねん。私、誕生日。
もうな、嬉しくなってしまってん。フライングしてごめんて思いながら嬉くなってしまってん。誕生日プレゼントや。

それと同時に、私、堅志郎に甘えてたなって思ってな。毎日よう喋るもんやから、おもろいなあ、楽しいなあって思って、、せやな、満たされてたのは私だけやった。あの子は私のためにずっとああやって喋ってたんか。気遣ってたんか。それもわからず毎日毎日、堅志郎の話を楽しみにしてた私は、ほんま、子供に甘えてたわ。

そう思いながら手紙を開いたらな、くしゃくしゃの桜模様の紙でな。
あれ、これ見覚えあるって気づいたわ。
鯉夏さんが夜空に吹いた手紙や。
開いてみたんよ。ゆっくりな。そしたらな、そこには
「母ちゃんへ。チョコはな、渡したい人に渡せると、嬉しいもんやなあ。それがな、作って分かってん。んで、今日それが叶ったで。
ほんま、恥ずかしくて書くの嫌やけど、言うは100倍恥ずいねんけど、
母ちゃんがな、笑う顔で満たされんねんて子供はな。母ちゃんが笑えば、それより嬉しいものはないのです。ああ、俺文才あるなあ。普通こうやって表現できへんで」

一回じゃ消化しきれへんから、何回も何回もその文章をな、読むねん。
何回も、何回も読んで、なんや目の上が熱くなって、それでもまた何回も何回も読むねん。頭にな、刻むように。嬉しくて、嬉しくてな。

その時、立て付けの悪いドアが「ガン!」って言うて少し上に上がってな、慣れたようにスーッと横に移動して、堅志郎の姿が現れてん。
堅志郎は驚いたように私の顔を見たあと、さらに目を大きくして手紙を見てな。
堅志郎「なんで…それ持ってんのや…だってさっき捨てて…」
って。
久しぶりに堅志郎の声を聞いてん。
恵美子「これ、私あてなんやろ?中身、見てもええ?」
堅志郎はポカンとした後、頷いた。
雑でもな、頑張って、くるんだんやなって思う巻き方ってわかるやんか。
これじゃ美術の成績、アヒルさんの2つくでって思いながら中身取り出したんよ。

やっぱりチョコレートやった。手作りの。
既製品を溶かして、不器用に作り直したチョコレート。
かじってみたんよ。塩が効いててな。しょっぱいねん。
ああ、違うか。私の目から溢れる塩のせいやんな、せやな。

ああ、甘ない、しょっぱいチョコレートや。


*プロローグ

パラドックスって皆は信じるかい?
パラドックスとは、いわば運命の分岐さ。
こう選択していたら、未来はこうなってた。みたいな。

過去の苦い思い出をふと思い出すとき、違う選択をしていたら、もっと良い未来だったんじゃないかって、思う時あるよね。

お気づきの方もいるだろうけどバー鯉夏では過去を少しだけ変えられることができるんだ。
本当に少しだけだけど。

本来、堅志郎くんはチョコレートを作ったものの、なんだか照れ臭い気持ちや色んな想いが入り混じって、恥ずかしくなって捨てちゃったんだよね。

みんなもきっとあるだろう?送ろうと思っていたメッセージを消すこと。
でも、それが送れていたら、本音が伝わっていたら
パラドックスはまた別の、良い未来を切り開いていたのかもしれない。


堅志郎くんは、ホワイトデーの日、乃木さんに
堅志郎「あなたの本物のチョコレートをください!」
と言って嫌がられたそうだよ。
でもその後、乃木さんは堅志郎くんに心を許して、チョコの作り方を教えたそう。
乃木さんは根がとても優しい子でね。必死な堅志郎くんに心打たれたんだろうね。堅志郎くんに放課後レシピを教えたり、チョコ作りをしたりして、少しだけ距離が縮まったみたいだよ。

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もし、堅志郎くんが、あのまま恵美子さんに手紙とチョコを渡せない運命だったとする。それでも、俊吾くんが気づいて、チョコを拾って届けに来てたんだ。
でも、恵美子さんはお酒を飲んで眠ってしまってて、チャイムがなっていることに気づかなかった…。

そのパラドックスだと、もしかしたら、運命は違っていたのかもしれないね。
あのままお互いの気持ちを知れないまま、溝が深くなって、話すこともなくなってしまっていたのかもしれない。

いつだって人との溝ができてしまうのは小さなきっかけさ。
それが大きな分岐点を生んでしまう。


ちなみに堅志郎くんは来年のバレンタインに、男の子たちにいっぱいチョコを配るみたいだよ。家族にちょっと見栄を張れるようにって。
恵美子さんと一緒に作るみたい。
きっと皆喜ぶねえ。


皆さんは今年のバレンタイン、どんなチョコに出会えたかい?
バー鯉夏は、おつまみで塩チョコを作ってみようかと思うんだけど…
毒見で来てくれる人を募集しているよ(笑)。

ではでは、また来週も飲みませう!🍷

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