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『スーツ=軍服⁉』(改訂版)第68回

『スーツ=軍服⁉』(改訂版)連載68回 辻元よしふみ、辻元玲子

ドイツ軍発祥の迷彩柄 

近年、ミリタリー・ファッションが一般のアパレルでも大きなトレンドとなっており、驚くような高級ブランドも次々に、迷彩(カモフラージュ)柄を施したファッションアイテムを発表している。今では街で見かけてもそれほど違和感もないが、そのルーツはなんであろうか? 改めて歴史的経緯を考えてみたい。
元々、日本の武士や、西欧の騎士たちが戦争をしている頃、戦闘用の服装は出来るだけ派手に、目立つようにしたものだ。家紋を入れて飾り立てた旗や陣羽織、羽根をあしらった甲冑など、誰がどこにいて、どれだけ活躍したか、をはっきりさせないことには、戦後の論功行賞、つまり手柄に対する主君からのご褒美をもらえないわけだった。
西欧では十五世紀頃から、部隊ごとに服装を統一する近代的な軍服が一部で登場し、十七世紀前半、スウェーデン軍で国家が制定した初の正式な軍服が生まれた。しかしこの時代の発想でも、軍服は黄色や赤などの原色を用いて、出来るだけ目立つものにしていた。すでに銃は使用されていたが、その性能は低く、遠くから狙撃される恐れはなかったのだ。むしろ、もうもうたる銃砲の煙の中、敵味方が識別できるように派手であることが求められた。
この傾向は十九世紀半ばまで続いたが、やがてライフル銃が登場して戦場での危険が増す。そんな中、インド駐留の英軍で、それまでの英軍の真っ赤な制服に代えて、泥色(カーキ色)の軍服が生まれた。そして二十世紀の初めまでに、世界中の軍服が、原色からカーキ色や灰色などのくすんだ地味な色になる。
第一次大戦を経て、銃器の性能がますます上がったため、もっと効果的に地形に溶け込み、敵の目を欺く迷彩の必要性が生まれた。これを最初に開発したのは、ナチス・ドイツの武装親衛隊で、一九三七年に最初の迷彩軍服が採用されている。
第二次大戦では、主にドイツ軍が使用して非常に効果的であることが立証されたが、結局、他国ではほとんど採用されなかった。米軍も一応、迷彩服を採用していたのだが、「ドイツ軍に間違われる」という理由でほとんど使用しなかった。
その後も米軍は迷彩の採用には消極的だったが、六〇年代のベトナム戦争では、ジャングルの中の過酷な戦いに迷彩は必須となり、いわゆるジャングルパターンの迷彩が使用された。このトラ皮風の迷彩はこの戦争を境に、まずは軍の放出品が出回り、さらに一般のカジュアルウエアにも使われるようになった。
九〇年代の湾岸戦争では、デザートパターンと呼ばれる明るい迷彩服が話題になった。このあたりから、一般のファッションアイテムにも迷彩パターンが使用されるようになってくる。それまでオシャレとは対極にあると思われていた迷彩柄が、大胆かつ斬新ととらえられるようになったのだ。
米軍は二〇〇五年に採用した新型戦闘服アーミー・コンバット・ユニフォーム(ACU)からユニバーサルパターンという、コンピューターでデザインした最新式のデジタル迷彩柄を採用している。イラク戦争や、東日本大震災で出動した米軍兵士が着ていたが、グレーを基調とした非常に繊細な柄だ。この米軍の「最新モード」をあからさまに使用しているブランドはあまり見受けないようだが、まもなくデジタル迷彩のスカートやジャケットがタウン用として登場することだろう。


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