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『スーツ=軍服!?』(改訂版)第94回

『スーツ=軍服!?』(改訂版)連載94回 辻元よしふみ、辻元玲子
 
※本連載は、2008年刊行の書籍の改訂版です。無料公開中につき、出典や参考文献、索引などのサービスは一切、致しませんのでご了承ください。

オールデンのコードバン靴

 英国やイタリアの靴はドレッシーだが、アメリカの靴には独特の質実剛健な魅力がある。
アメリカで最高級の靴というとオールデンだろう。独特のコンフォート(快適な)ラストは健康靴や医療用シューズの発想から生まれ、左右の羽根が非対称であるのも足を包む人間工学から調整された繊細な考え方が根底にある。その一方でいかにもアメリカ的な武骨さがあって、ドレス用にもカジュアル用にも兼用できるという点では独特の境地にある。
 特に米陸軍の軍靴のラストを使ったミリタリー・ラストの製品は民生用と明らかに異なる。GIシューズそのまま、なのに民間用の靴というほかに例を見ないものだ。
 同社は一八八四年にチャールズ・H・オールデンがマサチューセッツ州ミドルボローで創業した。この会社の製品のセールスポイントの一つに、上質なコードバン皮革を使用している点が挙げられる。コードバンは農耕馬の尻の皮から加工するもので、今では非常に希少な高級皮革となっている。
コードバンはコルドバ革などと和訳され、スペイン南部のコルドバの市名が語源だ。コルドバといえば古代ローマ以来の歴史があり、八世紀から三百年間はイスラム王国の首都、その後、キリスト教徒によるレコンキスタ(失地回復)でスペインが取り戻した地。欧米人がコードバンという一語に長い歴史を感じ取ることは想像に難くない。
コードバンは今日、ほとんどシカゴにあるタンナー(皮革業者)ホーウィン社の一手専売だという。そのホーウィンも手間がかかり利益率の少ない高級皮革業から撤退を模索した時期があるが、それを救ったのがオールデンの「コードバン全量買い取り」宣言だった。今日、ホーウィン社の上得意といえば、そのオールデンとNFL(全米フットボール協会)だ。
アメフトやラグビーのボールは本来、皮革製であり、ホーウィンの製品もそこで生かされているのだが、その手入れはなんと、伝統的に人のツバを吐きかけて磨き込む、というものだ。それは理にかなったやり方で、靴の手入れでもツバが有効なことはよく知られている。人体の酵素と適度の水分が、いかなる保革剤よりも、天然素材である革製品のツヤ出しには最適なのである。

英陸軍発祥のデザート・ブーツ

 ところで、英国でもっとも売れている靴ブランドはどこかだと思われるだろうか? 有名なジョン・ロブでもエドワード・グリーンでも、チャーチやトリッカーズでもなく、一八二五年にサイラスとジェームスのクラーク兄弟が興したクラークスである。
この会社は数多ある英国の老舗靴ブランドの中では中堅どころだったが、一九五〇年、四代目のネイサン・クラークが画期的な製品を発売して一挙に人気を攫った。それまで常識だったレザーソウルではないクレープソールを使用し、スウェードを無造作に閉じ合わせる武骨なチャッカ・ブーツの一種、デザート・ブーツだ。これが世界初のカジュアル専用シューズといわれ、六〇年代にはロックンロール世代に受け入れられて世界的大ヒットとなった。
 ネイサン・クラークがヒントにしたのは、戦時中に従軍した彼が、ビルマ戦線で目にした英軍の防暑用ブーツだったという。そのブーツの起源は、アフリカ戦線でロンメル元帥のドイツ軍と戦ったモントゴメリー中将の英第八軍の将校たちが、カイロの市場で調達していたヴェルツショーンVeldts choenという砂漠用のブーツだった。砂地では、深い滑り止めや鋲が底についた堅い靴底の軍靴より、ベタ足で接地面積が広い、つまり接地圧が低く柔らかい素材を使った靴底の方が歩きやすかったのである。
ヴェルツショーンはオランダ語でフィールド・シューズ(荒地用の靴)の意味である。この靴の由来は南アフリカのオランダ系入植者ボーア人が履いていた労働用のブーツで、オランダ名であるのもそれが理由である。南アフリカの権益をめぐってボーア人と英国はボーア戦争で争った仲だが、英軍はボーア人の勇敢さに感銘を受けて大いに影響を受けている。特殊部隊をコマンドと呼ぶのもボーア人の遊撃隊の名から取ったものだし、デザート・ブーツもアフリカ戦線の戦場を経て、英国から世界に発信されたことになる。


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