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【つながる旅行記#228】福岡城に埋まっていた鴻臚館について学ぶ【古代のトイレ】

前回は桜が咲き誇ったり散ったりする中で、福岡城の天守について学んだ。

そして今回は大宰府関連の施設を見に行く。

前回見た祈念櫓が見える

というわけで、これが目的の『鴻臚館(こうろかん)』である。

さっそく中に入ってみよう。


中に入ると、広めのワンフロアでの展示施設だった。

なんだかちょっと仙台の地底の森ミュージアムを思い出す。

ここも発掘時の姿をそのまま展示しているのだ。

ところで鴻臚館とは一体どんな施設なのかというと、『海外から来た人の迎賓・宿泊施設』である。

当時は筑紫館(つくしのむろつみ)と呼ばれ、唐・新羅・渤海などの使節を迎えてここに宿泊してもらったそうだ。


そしてこういった海外迎賓用の”鴻臚館”というものは、大坂の難波宮京都の平安京にもあったらしい。

でも遺構がこんなふうに見つかっているのは福岡だけとのこと。

(福岡も最初は遺構の発見を無視して野球場を建てちゃったりしたのだが、球団が福岡ドームに移ったことで発掘が再開できたとか)


また、福岡の鴻臚館は博多港から旅立つ遣唐使の宿泊所としても使われたようだ。

遣唐使として船に乗る人たちは、日本最高レベルの人材ばかりであり、失敗したときの国の損失は凄まじいものだった。

だがそんな遣唐使の成功率は15回中7回という大博打。(8回は遭難!)

当時の航海技術では貴重な人材の命を50%以下の成功率にかけなければならなかったのだ。


……そりゃ菅原道真も「もうやめよう」と提言するわけである。

でも遣唐使があったからこそ空海は密教を学んで帰ってきたわけで、なかなか悩ましい。

そして5回失敗して失明しながらも日本に来てくれた鑑真って、相当凄いなと再認識。

いやはやすごい時代だ……。

総勢400~500人で向かったそうな

鴻臚館の様子
https://fukuokajyo.com/kourokan/

話を戻して、そんな鴻臚館は大宰府官道で繋がっていた。

官道は2本あったが、外交使節は水城西門を通るルートで大宰府に入ったらしい。(過去の旅行記で自分が見に行ったのは水城東門があった場所)


西門ルート
は大宰府政庁まで約17kmくらいだろうか。

(歩きだと大変そう)

水城西門ルート

そんな鴻臚館は陶器ペルシアガラスなど出土品が色々あるわけだが、自分が興味をそそられたのはまさかのトイレである。

奈良時代のトイレは四角い穴を掘って板を渡しただけの簡易的なものだったようだが、研究者がそこから得られる情報は多岐にわたる。

例えばこのトイレの土壌にはかなりの寄生虫卵が含まれており、当時の日本人達は調理が不十分な魚を食べて寄生虫に感染し、虫下しに瓜の種を飲んでいたのではないかと考えられるのだ。

奈良時代にさかのぼらずとも、2015年まで「ぎょう虫検査」なんてものをやっていた日本ではあるが、古代のトイレの土壌からこんな情報が得られるとは……。

研究者の視点と考察力はすごい。

そしてこれまた興味深いと思ったのが、籌木(ちゅうぎ)である。

これはいわば古代のトイレットペーパーなのだ。

籌木

紙が貴重だった時代は、このを用いて肛門から大便をこそげ落としていたという。

……たぶん綺麗に取りきることはできなかったことだろう。

でもまあ、みんなそんなもんだからOKなのかもしれない。


・・・

やっぱり現代って最高!!


ちなみにこの籌木だが、このトイレからは1000本見つかっている。

そして黒い土(大便層)には瓜の種を含んだ層が2層あることが判明しており、つまりは瓜が収穫できる2度経過したと思われる。

要するに1年半以上は使われたトイレということだ。

おぉぅ……

汲み取りとか定期的になさらない感じで……?)


そしてこの籌木だが、結構な田舎では戦後あたりまで普通に使ってたなんて話もあり、古代の文化だと切り捨てるものでもないようだ。

水に溶けるトイレットペーパーなんて、つい最近の発明なのである。

例えば昔はトイレにが張ってあって、それで擦って綺麗にしたり……

世界を見ればを使ったりとか……

・・・

いや、ちょっとこの辺でやめとこう。

序盤の「鴻臚館のあれこれ」をトイレ周りの話で全部忘れそうだから。

(興味深い分野だとは思うけども)



そんな鴻臚館だが、新羅の入寇刀伊の入寇などを通して時が経つにつれ軍事的な存在意義を強めたりしつつ、1047年には放火されて、文献上で見られることはなくなってしまう。

まあ大宰府政庁も12世紀にはもう荒廃していたようなので、鴻臚館も同じくその頃には荒れ果てていたのだろう。


そして戦国時代に黒田長政が「広い土地あるじゃん!」と福岡城を作り、

時が流れて福岡城を陸軍が利用するようになり、

その後は野球場ができて、

またこうやって発掘されて今があるというわけだ。

そういう経緯を知ると、こうして遺構が見れていることに感動だ。

当時の福岡の人達が発掘を選択してくれたことに感謝しよう。


……そういえば、源氏物語にも「鴻臚館」が出てくるらしい。

どんな場面かというと、『鴻臚館に滞在していた高麗人に、幼い光源氏の人相占いをさせる』というものだそうだ。

もちろんこの鴻臚館は福岡のものではなく、京都・平安京の鴻臚館である。

まさか2024年の大河で紫式部が来るとは思ってなかったが、全然平安じゃなかったとよく言われる平安時代がどう描かれるのかも楽しみだ。

そんなわけで、桜も歴史も満喫できた舞鶴公園と福岡城跡

あいにくの雨だったが、思い切って観光しにきて良かった。

今度は晴れたときにも来れたら良いなと思いつつ、


次回へ続く……!


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