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「私の罪は何ですか…」レニ・リーフェンシュタールを描いたドキュメンタリー映画を観た。

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軍靴の音、オリンピックのマスゲームの映像が映画冒頭に流れる。狂気の20世紀、強制収容所と全体主義の時代を象徴する映像が続く。
第三帝国を代表する映画監督、レニ・リーフェンシュタール。ナチス党大会をニュース映像にした『意思の勝利』や映画『オリンピア』がナチスのプロパガンダを助けたとして今もドイツではその存在がタブーになっている。この映画は90歳になる本人に取材した、前編後編合わせて3時間の大作ドキュメンタリーである。 

運命の予兆

ダンサーとして活躍していたレニは、ある時駅で山岳映画『運命の山』のポスターを見た。この時から彼女の運命は急展開していく。山岳映画の新しい映像手法に魅せられたレニは女優として『聖山』に出演。断崖絶壁を命綱無しで登るレニの、恐れを知らぬスーパーレディぶりがナチスの目にとまった。そして、初監督作品の『青の光』では山に住む妖精ユンタを自ら演じた。村人たちから魔女扱いされ、疎まれ憎まれることになるユンタはその後同じ運命をたどった彼女自身の運命の予兆のような作品になっている。

悪魔の契約

従来のニュース映画とは違う、芸術作品としての映像をとりたいというレニの野望は、ヒトラーから党大会のニュース映像を撮って欲しいという依頼を引き受けさせてしまう。これが悪魔との契約だとも知らずに。映画『意思の勝利』は戦後、ナチスを正当化し、人心を惑わせたプロパガンダ映画と批判された。インタビューで繰り返し「芸術家の責任」を問われるレニは、「皆熱狂していた。」「90%の人がヒトラー支持だった。」「私に何の責任があるのか」と答えるのだが、その映像が与える影響への想像力は持ち得なかったのか。レニは本当にホロコーストを知らなかったのか。新しく作り出す映像に熱中するあまり、その他のことは見えなかった、ナチスの反ユダヤ主義の所行は知らなかったなどということが本当にあるのだろうか。

そうではないと思う。見ないでいるならば、映画を撮り続けることが、できると考えていたのではないだろうか。全体主義の嵐の中に巻き込まれ生き延びるために、魂を悪魔に売り渡した人は多いのではないかと思う。

「ヒトラーを信じた私の人生は崩壊した。」

1938年、ヒトラーの誕生日に公開され大ヒットした『オリンピア』はナチスからの多大な支援を受けて、新しい技術と映像手法を駆使した、かつてない作品になっている。今でもこの作品を凌駕するオリンピック映画はない。当時のファシズム精神を体現しているレニの美学は後に「肉体崇拝 」「力と強さの礼賛」「 戦士への賛美」美と力を賛美するファシズムの美学であると、スーザン・ソンタグらに批判されている。

破滅の訪れ

1938年11月、水晶の夜…1939年 ポーランド侵攻 …1940年パリ入場 、ソ連の参戦により世界大戦へ、レニは終戦直前のベルリンへの激しい爆撃を逃れ、チロルの村へ移り住み、『低地』の編集に没頭した。そして破滅の時は訪れ、映画監督としての生命は絶たれた。

インタビューから伝わるのはレニの映像に対するとめどない情熱、飽くなき探求心だ。戦後20年が経ち、赦されて映画の製作を再開する。そして、最後に行きついた題材は無人の海底。音のない世界だった。

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