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面会

施設から電話。午後になって母の不穏が続いていて、「夕方までには家に帰る!」と言って聞かないそうだ。「今日、この後来てもらえますか?」困り果てたような介護士さんの声に、こちらも焦ってしまったが、ちょうど出かけた先で受けた電話で、すぐに施設に向かうことができない。それに、そんな状態の母に会うのも恐ろしかった。

「今、出かけているところで、すぐに帰れないんです。申し訳ありません。」そう答えると、がっかりしたような返事で電話が切れた。忙しく仕事に戻って、また母をなだめなければならない介護士さんのことを思うと申し訳なさでいっぱいになった。

翌日、母に会いに行った。「昨日はすみません。」入り口で頭を下げると、今日は落ち着いて穏やかに過ごしていると言う。少し会って行きますか?と言われて、面会室に向かった。母が私を見つけた。私が手を降ると、少し笑顔になる。「悪いねぇ、いつも心配してくれて。」そんな風に言う母は、私が誰なのか、どのくらいわかっているのだろうか。

施設に入ってから、母の認知症はさらに進み、私のことは妹だと思っていることが多くなった。そして、涙ぐんで話すのは「お母ちゃんに苦労をかけて悪い。」「早く帰って手伝ってやらないと」というような内容だ。今日も、「私にはまだ親がいるからね、ありがたい。」と、施設で他の老人と話をすると、みんな親が亡くなっているけれど、私にはいるから幸せだ。という意味らしい。私も「そうだね。」とうなづいて聞く。

母との会話はあっちへ行ったりこっちへ行ったり、私も妹になったり、娘になったりだ。そんなゆらゆらしたような頼りない会話もだんだん慣れてきた。ぼんやり浮かんでは消えるシャボン玉のように、母の記憶がやってくる順番で話せばいい。年をとるということを、母に教えられる。


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