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未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す【音声と文章】

山田ゆり
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未来を知るために、過去のネガティブな経験を徹底的に洗い出してみよう。


ネガティブな過去だけを時系列で洗い出してみることにした。


たぶん、小5まではそれほどネガティブな思いはしていなかったような気がする。

のり子はそれまでクラスの女子の人気者だった。
毎日が楽しくていつもニコニコしていた。
勉強も運動もできていた。

小6になって、クラス委員長を決められた時にのり子の人生の矢印は大きくうねった。

のり子の学校は6年間、クラス替えをしなかったから、5年生までクラス委員長は野球部のピッチャーをしていたA君がしていた。

6年生の時も彼がするだろうとのり子は思っていたが、なんと、女子からの推薦でのり子がクラス委員長になってしまった。
女子が男子よりも数人多いクラスだった。

のり子は結果が出た時に辞退したいと言ったが結局それは叶わなかった。


それまでは、将来、A君のお嫁さんになれたらなぁと淡い恋心を抱いていて、A君ものり子に優しかった。

しかし、クラス委員長にのり子が抜擢されてから、A君はのり子を虐めるようになった。

内履きを隠されたり、ランドセルを踏まれて底が曲がってしまったり、机の蓋を割られたり。

「わーい!臭い、臭い、あっち行けー」などの言葉の暴力もあった。


悲しかったのは、彼は学校の中で一番の人気者だったから、彼をとりまく男子たちがたくさんいて、その子らものり子を虐めた。

そして、1年生や2年生など、全く知らない子ども達までが、彼の真似をしてのり子に小石をなげたり、言葉の暴力を浴びせていた。

現代だったらここで「不登校」になるだろう。

しかし、昭和40年代のその頃はたぶん「不登校」ということがまだ一般的ではなかった。
のり子の常識の箱には不登校という言葉は入っていなかった。

学校は休まずに毎日いくものだ。
そう思っていたから、のり子はそれでも毎日学校に通った。
虐められるために学校に行っていたとも言える。

また、虐められていることを家の誰にも言えなかった。
貧しくて毎日朝から晩まで働いている母に余計な心配を掛けたくなかったからだ。

大人になって当時のことを母に言ったら
「知らなかった。教えてくれれば良かったのに」と言われた。



女子のアイドル的立場だったのり子に救済の手が無かったわけではない。


学活の時間に「先生、A君がのり子さんをいじめています」
そう、いってくれた子がいた。
のり子は思わず彼女の方をチラ見した。
嬉しかった。これでいじめはなくなるかもしれないと思った。


しかし、「Aくんはのり子さんが好きだからイジメているんだ」という結論で担任は学活を終わらせたのだ。

それはたぶん、本当だとは思う。

恐らく自分の胸の内を無神経な先生にさらされてしまったからだろう。その後、Aくんからのいじめはエスカレートしていった。


のり子は他の女子に被害が及ばないように他の女子たちから離れて一人になった。

小学校の一番の思い出になるはずだった修学旅行は、A君からなるべく見えないようにいつも気を使っていて全く楽しくなかった。

そしてA君は周りの男子よりも体が急成長し、綺麗だった肌はニキビだらけになり、身体の発達に心が追いついていないというのがのり子にはなんとなく感じ取れた。

彼は「番長」的立場になり、他校の「番長」と喧嘩をするようになった。

その、身体と心の不釣り合いのモヤモヤした感情をのり子にぶつけているとのり子は解釈していた。

だから、彼は可哀そうだと感じたからのり子は彼を恐れはしたが憎むことはできなかった。


中学に進学する時
「どうか、彼とは別のクラスになりますように」と真剣に、真剣に神さまにお願いをしていた。


そして、クラス発表の貼り紙を見に行き、彼とは別クラスだと分かった時、世界が輝き始めた。

初めて眼鏡を掛けて「こんなに世界は明るいのか」と驚いた、その瞬間に匹敵した。


これで何もかも好転する。
そう思った。

しかし、現実はそれほど甘くはなかった。



長くなりましたので、続きは次回にいたします。




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未来を知るためにネガティブな過去を洗い出す

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