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糾弾!日高町教育委員会、神坂次郎著「藤原定家の熊野御幸」ブックレビュー

熊野古道は世界遺産である。わたしは日高町在住であるが日高町には熊野古道が通っている。この熊野古道沿いに熊野王子神社がいくつか散在している。そのひとつである高家王子神社(内原王子神社ともいう)の境内に藤原定家の歌碑がある。その歌碑には、
 萩原や
  野辺より野辺にうつり行く
 衣にしたう 露の月影
と彫られている。わたしはこの歌碑が気になり調べてみることにした。するとこの歌碑に刻まれている歌が誤りではないかということが分かってきたのである。日高町教育委員会建立とあり、問い合わせてみるとこの歌碑を造った根拠が「紀伊国名所図会」だという。
 「紀伊国名所図会」には「新千載集」よりという記述があり、これに基づいて造ったのだという。わたしは歌が載っているという「新千載集」を調べてみた。しかし「新千載集」にはなかったのである。
 また「紀伊国名所図会」には藤原定家が後鳥羽上皇が熊野詣の際の「御幸記」の記述もある。この「御幸記」も歌碑を造った根拠のひとつとなったようだ。そこでこの「御幸記」も調べてみることにした。しかし、ここにも歌は載っていなかったのである。
 「御幸記」は正しくは「熊野御幸記」といい原本は三井記念美術館にあり国宝である。三井記念美術館はこの本も出版している。本には藤原定家の和歌を研究している早稲田大学文学部・兼築信行教授の論文も併せて載っている。「熊野御幸記における定家の和歌」というのがそれである。わたしは兼築教授に連絡をとり歌のことを尋ねてみた。そうすると、この和歌は安土桃山時代の「題林愚抄」に載っており「新千載集」はもちろん「御幸記」にもないということであった。
 さらに、大きな間違いも見つけることができた。それは和歌そのものである。
 和歌にある、「萩原や」は、実は「荻原や」であり、「露の」は、「霜の」だというのである。これは大変な間違いを石碑に刻んでいると思い日高町教育委員会に連絡をした。同委員会は調べてみますということであったが、いまだになんの変化もない。これは昨年の八月のことである。(令和六年二月時点でも同じ)。
 わたしは誤りは誤りととして訂正するべきなのではないかと考えている。いかがなものだろうか。
 さて、本日紹介する神坂次郎著「藤原定家の熊野御幸」である。
 この本を読み進めると、和歌山県在住の者としてはよく知る地名が多く出てくる。
 読みながら古人(いにしえびと)とともに熊野への旅をしてみてもいいのではないだろうかと思う。
 熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社はいわゆる熊野三山である。浄土信仰とともに古人(いにしえびと)はここを目指して参詣した。
 この本を読みながら熊野への思いを馳せてもいいのではないだろうか。
 三島由紀夫に「三熊野詣」という作品がある。

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