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きっと今この瞬間も、私たちを救ってくれている“誰か”がいる、ということを忘れたくない

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どうも。じーもです。今日は少しまじめな話をしてみたいと思います。一つの事実として、改めて意識しておきたいと思ったことです。きっかけは相方から聞いた話でした。

便利な生活の裏側で

私は今、こうしてインターネットに接続し、Webサービスを利用しています。ホットカーペットにあたためられながら。夜にもかかわらず、明るく照らしてくれる電気の下で。

そう、私たちの生活を便利にし、なくてはならない存在として当たり前になっているもの。電気です。

電気とはスイッチを入れれば。コンセントにさせば。利用できる当たり前のこと。そう考えて生活してることがほとんどだと思います。でも。それは、どこからやってきているのでしょうか。どうやって生み出されているのでしょうか。

相方から聞いた話は、「福島第一原発の燃料デブリ」に関する問題でした。

詳しい説明は避けますが、燃料デブリとは、とにかくめちゃくちゃ危険なもの、です。原発内にある燃料デブリを処理する必要があるのですが、もちろん人力ではどうすることもできず。ロボットでも困難を極める状態です。

処理することはもちろん必要ですが、処理を試みるのはもちろん私たちと同じ"人”です。自分の生活も、大切な人も、大好きなことも。全部もっている、私たちと同じ"人”です。

その事業に関わることは極めてリスクのあることだと思います。現代では、好きなことを仕事に、という風潮があります(私もそうですが)。でも、そんな中、当たり前のように過ごしている時間を命を懸けてどうにかしようとしている人たちがいることを意識できているんでしょうか。

私は、できていません。

しかも、福島第一原発の燃料デブリに関する課題は、10年経った今でも、全く変わりません。うまく処理できるまでも、今の世代だけではどうにもならないのです。必死に進めていても、膨大な時間が必要なんです。

子どもをもつ人にはよくわかると思うんですが、次世代へ引き継ぐことの意味を私たちはもう少し考える必要があるのかもしれません。

私たちは当たり前のように電気を使って生活しています。でも、そこには文字通り、命を懸けて働く人たちの存在があることを忘れてはいけないと思うんです。

経験して初めて感じるありがたさ

現在、新型コロナという未知のウイルスが世界を覆っています。それは、ウイルスの怖さだけでなく、情報や自由がないことへのストレスも含まれると思います。

人は、健康な時には、満たされているときには、その重要性に気付くことはありません。しかも、自分が追い込まれてから、誰かに助けを求めます。自分がこれまで健康な時、満たされているときに気付かなかったかもしれない誰かの声のように。

医療現場では、自分がお世話になって初めて、そのありがたさに気付きます。そこで働く人たちも、私たちと同じ"人”なのに。それまでおそらく見向きもしなかったであろう、その人たちに、必死に助けを求めます。

私たちは知っておかなければならないと思うんです。その人たちのことを。どれほど命を懸けて現場で働いているか、ということを。

気を抜けば、人は自分一人で生きている錯覚に陥ります。今、生きていること(こうして私が記事を書いていることも)を当たり前のように思います。それが悪いわけではありません。むしろ、普通なんだと思います。でも、本当にそれでいいのでしょうか。

私たちにできること

正直に言ってしまえば、自分一人がよければそれでいいと思うんです。だって、自分さえ快適に生きることができれば、他は関係ありませんから。どれほど他人の身体が痛もうが、心が悲鳴を上げようが、何も感じることはできないのですから。でも。

知ってしまったんです。
考えてしまったんです。

今、こうしている間も、私たちを救ってくれている"誰か”がいることを。
自分の命を懸けて、私たちや大切な人を守っている"誰か”のことを。
自分たちの世代がの残したものは次世代に引き継がれるということを。

私には、知らないふりはできません。いえ、したくありません。

「じゃあ何かできるのか」「結局何もしないのか」「何も変わらないのか」

ちがいます。確かに、私に、国を動かす力はありません。他人を動かす力さえもありません。私ができるのは、自分を動かすことだけです。

まずは知ることから。考えることから。
忘れないことから。伝えることから。
自分にできることを探すことから。
そうだと信じたときに動くことから。

買い物でも。仕事でも。お金の使い方でも。周囲への接し方でも。

何でもできるんです、きっと。それは、力になるんです。意識することで、見えるものがある。見えることで、感じることがある。そうやって少しずつ行動につながっていくと思うんです。

押し付けるつもりはありません。これを読んでくださった方に、何か動いてもらいたい、とも思いません。私が、そうしたい、ということだけです。でもきっと。そんな人は一人じゃない。

そんな人が少しずつ増えていけば、何かが変わる気がします。

最後に。

今回は少し熱くなりました。きっと、「綺麗ごと」「偽善者」そう呼ぶ人もいるかもしれません。でも、いいんです。それでも、いいんです。

たとえそうであっても、私たちを救ってくれている"誰か”の存在は変わらない。そして、地球(地球も私たちを守ってくれている大きな“誰か”だと思います)。日本に住んでいる事実も変わらない。何ができるかはわかりませんが。まずは、今日のことを忘れたくない。と思います。

以上。今回も最後までありがとうございました。よければまたお会いしましょう。では。

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