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"今”という寂しくも幸福な日々

#3月11日 #東日本大震災 #今 #場所 #人 #時間 #場所が違うだけで #一人一人のストーリー #今を生きる #できることをできる範囲で   

どうも。久しぶりに「食べ放題」という言葉につられて、ピザ食べ放題を某チェーン店に食べに来てしまった、じーもです。(自制は難しい…)

さて、今回の話題は、少し詩的な気もしますが。日常ふと感じる瞬間に想いを馳せてみようかと…。初めはこんな感じですが、中身はまじめです。どうぞよろしくお願いします。

"場所”に想いを馳せる

まずね。この記事を書いているのは3月11日。13時ごろです。先に話しておくと、私は東北地方に住んでいるわけではありません。友人や家族に東北に住んでいる者もいません。私自身、ボランティアに行ったわけでもありません。はっきりいって、全くかかわりのないところで、当時ニュースで見ていたうちのひとりです。

東日本大震災。あれから、10年が経ったそうです。

震災に直接的、間接的に被害にあった方のことを想うと、正直、ここに書いていることさえも申し訳なくなるほどです。きっと、私には何一つわかあないと思います。辛さや悲しみ。後悔。どうしようもないやるせなさ。どこに向ければいいのかわからない怒り。何もかも、です。

実際、私は当時から今に至るまで、自分から得ようとしなければ、情報は入ってきませんでしたし、今までと変わらない日常を過ごしてきました。そう、場所が違っただけで、生きることを当たり前として。

もちろん東日本大震災だけでなく、これまでの自然災害。戦争。事故や事件。挙げればキリのないものばかりだと思います。そして、遠い場所ではなく、今住んでいるこの地域も、きっと過去には何かあったんだと思うんです。もちろん、あなたの場所でも。

場所が違っただけで。時間が違っただけで。人のつながりが違っただけで。生きることが当たり前に生活している人と、生きることを強く意識せざる得ない人。たった少しの、でも、決定的な違いが。そこにはあるんだと思います。

当事者の方々の代弁をするつもりは全くありません。私は私の立場から。そういった人たちも少なからずいると感じながら。話を書いています。当事者を支援することができればすればいいし。思いを交わすことができるのであればすればいい。そうでなくても。身近にいる人たちと、自分が生きるこの時間をどう生きるかを考えるだけでも、違う気がするんです。

"人”に想いを馳せる

もう一つ感じること。大きな自然災害や事故、事件などがなかったとしても。人には、その人にしかないストーリーがあると感じます。他の方からしたら、大したことでないと感じることでも、本人にはとても大きな出来事で。逆に本人には大したことでなくても、他から見れば大きな出来事に感じる。そんなこともあると思うんです。

過去にたくさんのことがあったと思います。ネガティブなことだけでなく、ポジティブなことも。たくさんの感動も。たーっくさんのことを経験し、生きてきて。今、ここにいるんです。あなたの前にあの人はいるんです。

笑いながら。泣きながら。怒りながら。時には感情を抑え、ひそかに心を燃やすこともあるでしょう。

何気ない会話や、何気ない時間がすぎる"今”。それでも、そこに至るまでのストーリーは、その人にしかないものであり。その人でしかわからないものなんです。きっと。それを他人は、眺めることしかできない。一緒になって眺められても、本当の当事者として向き合うことはできないと思うんです。

でも。それでも。それは暗い話じゃなくて。だからこそ力になれることや届けられる想いがあると思います。まずは考えることから。自分と向き合い、家族と向き合うことから始めます。

今という時間の流れ

場所と人に想いを馳せて。次は、時間に焦点を当てます。

どれほどつらい経験も楽しい経験も、今は関係ないということ。関係ないというと冷たく聞こえるかもしれません。私が言いたいのは、

"今”という時間は今を生きる私たちにしか向いていない

ということです。過去を想って生きるのであれば、それでもかまいません。未来を描きながら生きるのであれば、それでもかまいません。何でもいいんです。だって、過去生きてきた人も、未来生きているであろう人も、私たちには直接的に影響を与えることはできません。もっと言えば、きっと、過去生きていた人も未来生きているであろう人も、その人にとっての"今”を生きているはずです。

ややこしくなってきましたね。少し熱くなりすぎました。失礼しました。

とにかく、場所や人、時間に想いを馳せる中で、ふと。"今”に、ある種の寂しさと、自分の贅沢な環境への感謝の気持ちを感じてしまったのです。

期待と不安

これからはどうなっていくんでしょう。何が起きるんでしょう。日本でいれば、震災などの自然災害は避けられないでしょう。今は新型コロナウイルスなどの感染症にも悩まされています。

考えれば考えるだけ、ネガティブなイメージは膨らんでいきます。

でも。それをネガティブなままにしておくのではなくて。少しずつか形にしたり。自分が行動を起こすことで、何かポジティブな方向へも向かう気がするんです。

例えば、買い物も立派なアクションです。社会の中で経済活動は避けられませんから。「ぼくらの地球の治し方」という本を書いている藤原ひろのぶさんという方も、別の本でこんな本を出しています。

「買い物は投票なんだ」

身近な行動の中にも、私たちができることはある気がします。藤原さんも書いていますが、きっと、まずは自分が変わることがポイントです。小さいことでも一つずつ。とりあえず何かやってみてもいいかもしれませんね。できることを、できる範囲で。

最後に。

今回は、3月11日、とうこともあり、改めて生きていることの重大さを考えることができました。最後になってしまいましたが、東日本大震災で犠牲になられた方々にご冥福をお祈りいたします。

以上。今回も最後までありがとうございました。よければまたお会いしましょう。では。


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