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心と体の健康の話②@わたしが経験した“うつ”

#心 #健康第一 #教員 #うつ #私の場合 #父からの贈り物 #やっぱ元気が一番 #周りの人に感謝 #不器用というか情けないというか

どうも、自分の経験談を書いていくうちに、恥ずかしくなり、ここまで書いていいのか、と不安に思いながら、まあ大丈夫だろう、と結局楽観的に考えてしまってるじーもです。(な、ながい 笑)

今回は、前回の記事の続きです。前回の記事を読んでから、この記事を読んでいただくことをお勧めします。

続・うつになった年の自分

えーと、前回どこまで書きましたっけ?確か、スケジュール的にも忙しくて、精神的にも独りよがりで、頼れなかった日々…でしたかね。そんなこんなで、この章はもう少し続きます。(笑)

実は、今振り返ると、うつになってしまった最大の原因だろう、ということが12月に起こるんです。

それは、父があっちの世界にいっちゃったということです。(察してください。)

正直こればかりは、未だに正々堂々と立ち向かえていないところがあるかもしれません。だから、サラッと書かせてください。

病気で入院してたんです。簡単に書くと、病気が発症して、一旦は治ったんですけど、再発して、入院した感じ。初めに病気と向き合った時も、医師の先生に説明されるだけじゃなくて、父は自分でも治療法などを調べてたみたいです。若いときは、結構仕事バリバリで、かなり頑張ってたみたいです。(ほんとにすごかったみたい。いなくなってから聞いた話もありますが。こっちにいるときは、自分のことは多くは語らない父でしたから。)60歳を超えて司法書士の勉強にもチャレンジして、何度も受けて。結局受かりませんでしたが、かなりいいとこまでいったらしい、そんな父。ほんと、尊敬ですね。もちろん腹が立ったりすることもありましたけど。(笑)

まあ、やっぱり、父の存在は大きかったんですよね。だんだん弱っていく父を見るのもきつかったし。だからといって、そんなことも想像したくなかったし。というかその時は自分も何かと忙しかったですし。余命も医師から聞きましたが、はっきり言って急でしたし。「え?」って感じ。まあ、とにかくそんな感じです。(もうちょっと時間ください。)

しかもね。父がいなくなった2日後くらいには、個人懇談があって。まあ、気持ちの切り替えが大変なこと大変なこと。(笑) もちろん無事終わったつもりですが。

まあ、そんなこんなで。気付けば追い詰められてたんでしょうね。”あの日”がやってくるわけですよ…

身体が外に出るのを拒否した日

2月中旬。そろそろ5年生が最終学年へ向けての準備に向かう大切な時期です。いつも通りの朝…のはずなんですけど。動きたくない、出たくない、行きたくない。布団から出るのを拒否したんですよね。

確かに、そのあたりの記憶としては、毎朝(だいたい一番に学校についてましたが)、駐車場の車の中で、外に出るときに「えいや!」としないと出れなかったんですよ。(たぶん5分くらいは悶々としてる時間があったような気が。)

で、その日を境に、私は学校へ行けなくなりました。(不登校日記みたい。→不登校は悪いことじゃないですよ!)

当時は相方も、子どもが生まれる前で働きに行ってましたから。心配そうに私を見ながら、しぶしぶで仕事に出かけて行ったのを覚えています。当時を振り返ると、相方が今でも、「常に心配だった。ちゃんと生きてるか心配で。」って言ってたんで、まあまあきてたのかもしれませんね。

あんまり覚えてない期間のこと

そんな状態でしたけど、ちゃんと病院にも行って、診断書をもらいました。実をいうと、行けなくなったのが2月中旬だったので、どうしてもクラスの子たちの成績を仕上げなくちゃいけなくて。あんまり覚えてませんけど、家にこもって、やってた気がします。もちろん学校へはいけないので、相方に届けてもらっていました。

振り返ると、この時期は、とにかく自分を責めてました。飽きもせずに、毎日毎日。毎時間、毎分、毎秒。「ああ、学校に迷惑かけてる。」「子どもたちを最後まで見送れなかった。」「自分は何をしてるんだろう。」そんな思いから、「自分なんていなくなればいいのに。」「自分がいるせいでみんなに迷惑をかけてる。」「自分がいなくなれば世の中平和になる。」「○ね。○ね。○ね…」今考えると、異常ですよね。

あと、食べ物は欲しくないんですよ。(ちなみに普段、私は食べることが大好きです。だから当時、家族からは心配されました。)夜も眠れない。気付けば3時や4時。眠りも浅い…。よく覚えてませんが、そんな感じだったと思います。

そのうちね。「○にたいけと、○ぬ勇気もないのか」って、意味のわからない追い込み方をしてましたね。(笑) まあ、頭の中では何度も自分を○してたんですが。(笑) とにかくセルフイメージがひどかった。

とにかく歩いて、考えた日々

でもね。やっぱりそのうち、徐々に元気にもなるんですよ。(薬の影響もあるかもしれません。)というか、自分自身、そこまでひどくなかったのかな、とも思います。(これをいうと当時を知っている家族には怒られますが…ごめんなさい!)

基本的には人(特に知っている人)には会いたくないので、一人で行動をすることを好みます。私の場合は、ひたすら歩いてました。よく覚えてませんが、4時間も5時間も平気で。そのときにいろいろ考えるんですよ。「結局自分は何が大事なんだろう」とか「これからどうしよう」とか。

もちろん、日によっては、外へ出たけど「…無理。」ってなって家に引き返すこともありました。なんかね、あるんですよ。そういうの。

退職を決めて、一般企業へ

で、ある時思い立ったのが、教員の働き方改革、だったんです。もちろん他にもやりたいと思ったことはあります。よければ他の記事もご覧ください。(売らない本屋は最近の話ですが。)

ちなみに、そう(働き方改革)は思っても、一度、民間の企業を知っておきたいな、ということで、一般企業にも転職します。まあ、そこも1年で辞めてしまうんですが。(もちろんいい経験になりましたし、自分としては前向きな退職です。)

とにかく感じたことは、働く人の時間の捉え方が違ったことです。きちんと権利である休み時間や勤務時間についてシビアなんです。もちろん仕組みとしても、きちんと勤務時間の把握をしてます。(教員はそのあたりがとっても曖昧なので。)教員との違いについては、またおいおい書きます。

ちなみに、教員を辞めたあたりから、自転車に乗るようになりました。父が使っていたものです。父も長く乗るつもりだったんですが、病気のこともあって、そこまで長くは使えてなかったので。使わせてもらうことにしました。少しは運動にもなりますしね。(ありがとう。)

おっと、また長くなってしまいました…。実際、うつを振り返ってみて、どう感じているか、ということについては続編を書きます。(結局、健康が一番、って話になかなかたどり着けない…笑)

では、最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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