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人生、ずっと考え中(国立新美術館にて)

六本木で降りたのは久々だ。前に来たのはいつだっけ、と記憶をたどる。いつだかの夏、幼馴染と六本木の国立新美術館に来た。カフェのテラスでお茶をしたのがとても気持ち良かったことを覚えている。青々とした夏の緑と夏の風。夕方になってもまだ明るい空。

もうあれから何年経っただろう。ここ最近の私は、記憶とその頃に見た美術館の展示が結びついていることが多い気がする。まるでそれは、高校生のときに散々自転車に乗りながら聞いていた歌が当時の記憶を瞬時に思い起こさせるように。

そういえば、今年初めての美術館だ。風は冷たいけれど、久々の晴れ間が嬉しかった。

話は遡って昨年の11月、私は大好きな近藤聡乃さんのトークイベントに参加していた。昨年、近藤聡乃さんのエッセイ漫画「ニューヨークで考え中」を読み。すっかりファンになったのである。

「ニューヨークで考え中」は、ひょんなことからニューヨークに渡ることになり、ひょんなことから「ずっとここにいよう」と思った近藤聡乃さんが日常のことを漫画にしている作品である。

私はこの作品を読むと「ああ、どこに住んでも私は私だし、人生は日常の連続なんだよな」と毎度思うし、「日常の小さな幸せを見つけることができるかどうかは自分次第だよな」と生きる元気が湧いてくるのである。

端から見たら淡々とした毎日を送っているようであっても、その人にとってはすごく彩られた日々かもしれない。それは、今見ているドラマ「舞妓さんちのまかないさん」を見ても感じたことだ。

毎日毎日、舞妓さんたちのまかないを作る主人公に「毎日同じようなことばかりで飽きないの?」とある人が聞く。主人公はすごく笑顔で「毎日、はじめましてこんにちは、という気持ちで料理するんです」と答えるのだ。同じような食材を市場で買っても、その日その日によって微妙に違いがあるのか、全く違う料理ができることがあって驚く、と。

年齢を重ねるにつれて、いかにそうした考え方が大事かを思い知らされている気がする。10代の頃は、常に大きな変化を心待ちにしていたし、どこかへ行けば人生は大きく変わるのではないか、と思っていた。でも、東京に住んでみても、アメリカに行っても、ヨーロッパに行っても、九州に行っても、そこにいる私はどこまでも私だったし、そんな事実に落胆していた。

「ニューヨークで考え中」を読むと、そんな「私はどこまでも私なのだ」という今までちょっとモヤっとしていたことにホっとするのである。どこまでも私は私でいいのだ、私も人生、まだまだ「考え中」だってことにしよう。

そんな近藤さんが東京に来てトークイベントをされるということで、ドキドキしながら参加したのである。(ちなみに、私は全くアーティストではない。ただのファンだ。)

そのイベントで知ったのが、この「DOMANI・明日展」である。近藤聡乃さんも参加してた文化庁が行っている海外研修制度の発表の場だ。

話はだいぶ逸れてしまっていたが、なんと、「ニューヨークで考え中」の原画を見ることができるということで、この日、私は六本木に向かっているのである。

さっそく展示室内に入ると、近藤さんの展示は一番初めだった。「『考え中』ですので結論は出なくて良いのがいいところです」という近藤さんの言葉に頬がゆるむ。

私は昨年一気に3冊を読んだので、この連載を10年続けられているということにとても驚いた。もちろん、永住権の取得や結婚、コロナの影響などなど時代の流れを感じるようなエピソードもあるのだけれど、なんというか、いい意味で変わらず日常を過ごされているようなエピソードが多いので、もう10年分読んだのか、という感じだったのである。

改めて読むと、やっぱり「好きだなぁ」というエピソードが、百五話「だからなんだ その一」の朝、猫がいたら「当たり」と思うようになった話である。誰しもどこかで感じたことがあるような、でも、すっかり忘れてしまうような些細な幸せをこうして漫画にしてもらうと、ああ、あんなこともあったな、こんなこともあったな、と自分を振り返ることができるのである。



私も、いつもスーパーに行く途中でたまに見かける猫がいた。通り道にある家に住むおばあちゃんが飼っているのだけれど、夏はちょっと扉を開けているので、そこから猫が顔を出していることがあるのだ。ここ最近は、寒いからかしばらく会っていない。そのおばあちゃんはよくスーパーで見かけるので、会うと「あ、あの猫のおばあちゃんだ!」と嬉しくなるのだ。

原画がかなりボリュームがあるので、すっかり見入ってしまった。

今回の展示は、近藤さん以外にも何名かの方の展示をあわせて見ることができる。

チラシにも使用されているこちらの写真は、石塚元太良さんのもの。長年、アラスカやパタゴニアなどで氷河をモチーフに撮影されているという。まるでこの世のものとは思えない美しさに圧倒されてしまった。



北川太郎さんの彫刻は私の想像する彫刻とはまたちょっと違っていた。「石そのもの」を楽しんでください、と言われているような気がしたのだ。たくさん並べられた石はひとつひとつ、様々な表情があり、色があって、夢中になり時を忘れてしまった。表面のこのマットな感じはどうやって出しているんだろう?細かな切れ目はどうやって入れているんだろう?と色んな疑問が湧いてくるのである。

国立新美術館は、その美術館そのものの建築もとても美しいので、そこもまた見どころである。今回の展示は2階なので、エレベーターに乗りつつぜひ建物全体を見渡してほしい。

DOMANI明日展は1/29まで国立新美術館にて開催中。

※写真は全て著者撮影(展示は全て撮影可能)









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