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普通だからこそ — 美容師 KiRiKo ④

「東京に出てきて、というか社会人として初めての仕事だったし、そういうもんなんだと思ってましたよ。なんせ他を知らなかったので」

そう言ってKiRiKoはあっけらかんとしている。

「そこまで厳しい仕事場に、躍起になって留まる必要あったんですか?」

聞くと、KiRiKoは自身の人生を変えた出来事について、唐突に、取り立てて感情を込めることなく淡々と、告白してくれた。

「実は、高2にあがる手前くらいのときに、中学校時代からの親友に先立たれたんです」

言葉に詰まってしまった。

本当は心の奥にしまっておきたいはずの大切な過去を自分に伝えてくれることに、覚悟した。

KiRiKoはいつもの快活なトーンで続ける。

「中学のクラスでいじめのようなことをされてた時期があったんですけど、声を掛けてきて私のこと救ってくれたのがその子だったんですよ」

勉強に興味が持てず、進路に悩んでいたときもそばで応援してくれた。テニスでつらかった高校入学直後も、彼女のおかげで歯を食いしばって頑張れた。

いつも支えてもらっていた。

病に伏して入院していた彼女は、半年ほど経った頃、そのままベッドの上で旅立ってしまった。病気の原因は分からずじまいだった。

「この子の分まで私が生きる」

なんでもやろう。どんな経験も、2人分やるつもりで。

人の倍やって、乗り越えて、2人分の人生を生きる。


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高3の頃にソフトテニスでAチームに登り詰めたのも、母の反対を押して福岡の専門学校に出たのも、生徒会も海外研修も。ひときわ厳しいヘアサロンへの入社を決めたのも。

原動力は、この約束だった。

あのとき、心に誓った。その使命感のようなものが、ヘアサロンでの地獄の下積み時代にも、KiRiKoをギリギリのところで引き留めていた。

「険しい道を行くんだろ、KiRiKo」

自分に言い聞かせた。



そして努力は実る。

3年間のアシスタント時代を経て、KiRiKoは4年目でスタイリストデビューを叶えた。

合否の判定には厳しい基準が設けられていて、技術面のほか接客・勤務態度なども加味され、総合的に評価された。7~8年経ってもデビューできないアシスタントが多いなかでの快挙。

もはやKiRiKo入社時の顔ぶれは、ほとんど残っていなかった。文字通り、サバイバルの環境。知らず知らずのうちに、どこでも生きていける自信が付いていた。

「普通」の自分でも、ここまで来られた。

いや、「普通」だからこそ、自分を駆り立てて、ひとつひとつ磨いてこなければならなかった。



素朴で純粋な粘り強さに加え、人に喜ばれることが好き。そのためなら陰日向なく働ける。テニス部時代に「気が利く」と評されたKiRiKoのそんな人間力が、やがてサロンでも発揮され始めた。

そして周りへの気配りや働きぶりを見ていたMaruの推薦で、なんとサロングループ総代表のチームに入ることとなったのだ。

総代表の家までお迎えにあがり、荷物持ちをして、お付きの弟子のような日々を過ごしながら、少しずつ着実に実力を付けていくなかで、ふと気づいた。

「普通であることが、かえって自分の武器なんだ」



才能が無い、スキルが無い、実績が無い。文句を言うだけなら誰でもできる。

何もしなければ、何もない。

無いもの尽くしの普通の自分を素直に受け入れて、片っ端からトライすること。普通だからこそ、与えられた境遇に正面から真剣に向き合い、ぶち当たって、がむしゃらでも乗り越えていく。

そのプロセスこそが、次の一歩を作っていく。

KiRiKoの話を聞いて、勇気をもらった。


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そうして約8年の月日が流れ、KiRiKoは結婚・出産を機に退職。

初めての社会経験だった美容業をようやく離れ、こんどは子育てに四苦八苦しながらも、さまざまなバイトをして家計を回した。

「休日って、2日連続で取ってイイもんなのか…」

思えば、大手サロン時代は仕事一色だったため、外界との接触がほとんど無く、世間一般とだいぶ感覚がズレていたのだった。



肌に合ったヤクルトレディのパートを1~2年ほど続けた、2016年の頃。

壮絶なヘアサロン時代から一転、いたって平穏な日々ではあったが、ぽっかりと何かが抜けてしまったような物足りなさ。

どうしたものかと思っていたある日。

会話の流れのなかで、同僚のレディがKiRiKoのことを茶化した。

「元美容師さんだもんねー」

明らかに自分の気持ちがざわついたのが分かった。

やっぱり、わたし美容師に戻りたい。

すっかりブランクが空いていたし、勘を取り戻すにも時間が掛かるかもしれない。今から復帰したところで、美容師として一生食っていけるものだろうか。

少しでも他の美容師との差をつけるために、何かもうひとつ武器が要るんじゃないか。そう考え、いろいろと検討した末に行き着いたのが、まつエク技術。

「よし。ヘアとまつエクが両方やれるところで再開だ」

美容技術+まつエク技術の2本立てで身を立てていく。そのために、KiRiKoは平和島にある小さな面貸しサロンに目を付けた。

客としてそのサロンへ出向き、「土日だけここを使わせてください」とオーナーへ直談判した。平日はすべて、ヤクルトレディをフルタイムで入れていたからだった(もはやパートタイムじゃない)。

こうして、託児所の利用できない土日に、子どもを抱っこひもで背負って、ママさんスタイリスト兼アイリストとして、美容業に復帰。なんちゅうパワフルさ。

働けるうちに働こうというのも分かるが、乳幼児を見ながらの週休0日ダブルワークは、身体的に相当キツいはずだ。

元来から予定を詰め込んでおきたいタイプだったKiRiKoは、一児の母となってもなお、休日のある生活を手放し、仕事に明け暮れるのだった。


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そんな生活を3年ほど続け、ときは2019年。ディーラーさんが持参したまつエク関連商材の資料のなかに、あるチラシが入っていたのがKiRiKoの目についた。

「高齢社会のヘアサロンの新メニューに、ボリュームアップエクステの導入を」

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