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関西放浪記

大阪にある天満という街に息を潜めていた。
夜になるともの悲しくなって酔いも覚めず、身体の疲労も誤魔化してワンコインのコーヒーを買って扇町公園にふらふらとでかけた。この辺りは夜になると変人がでるから気をつけろとみんなに言われたがまさか薄明かりの街頭の下ノートに言葉を書き綴っている自分が、もう立派に変人の仲間入りしているんだなと気づいたのは何日も先の話だった。
日誌とも手紙とも言えない、感情文の羅列がいったい何になるのかはわからない。もう言葉にしてしまったから燃え尽きてしまった灰になるのか、形にしたことによって捨てられない遺産になるのか。箱に詰め込んでいつの日かタイムカプセルみたいに掘り起こす時が来るのか、どうなるのかなんてわからないけどここに書かないと自分が救われない気がして必死だった。擦り切れていく日常、どんどん自分が何処にもいけなくなっているような気がして。それも留まらないといけないとかではなくてどこに行く宛もなくて。


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旅を続けていくと同じく旅を続けるうたうたいと会う。繋がり、笑顔、愛情、お客様、そういう言葉を仕切りに呟いて今日は今日の為に生きていた。正しくも感じて、わからなくもなった。いつも与えてもらってばかりの自分達旅人が、押しかけ愛を押し売りっていうのが恐ろしくなった。それは単に自信がないが表面にでてきてしまっただけなんだと思う。限りなく削ぎ落としてきたつもりで赤裸々に自分の弱さと人の脆さに直面した。結局我々は本来の目的を見失っているのではないか、つらい自分に課した試練をこなす事が目的になっているのではないか。本来の捉えたかった姿はどんどん霞んでいっている。ライブ第一最前線で戦ってきたつもりだったけど、あの特殊な空間、空気、時間を音楽にしはじめていた。
貧困に空腹を重ねている、不要な苦労はするなとSNSで流れている。

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毎晩クラブ温泉という銭湯に通っている、生活の中での唯一の癒しは湯船につかること。熱いお湯が全身硬直しきっていた身も心もをほぐしてくれる。シャワーだけではあじわえない多幸感。尊敬するうたうたいASAYAKE01さんが歌っていた『湯船オーシャン』という楽曲はこのなんとも言えない浮遊感、感覚景色を音楽にしていたのかと湯船の中でぽつりと思った。そうか、こういう事を音楽にしたかったんだ。日常に住まう心を揺れ動かす喜怒哀楽、些細な事から人生の岐路のような大きな事から。人は具体的な事ではないという抽象的な、それでいていつも側にあるもの。音楽の力を信じる事は増えた、間違いなく最低最悪で劣悪な状況に身を置いた事によって音楽はグッと近くなった。賛美歌のようにときに生命の美しさがあり、鎮魂歌のように永きに渡る慰めをそっと与えたり、残されたモノが向き合わないといけない現実と。湯船に浸かって見えてきた世界、まずはこの湯に浸かって人間に戻ろうと思った。ぶくぶくと潜水していく、暗い深海の底ではなく暖かな生命の灯しと同じ温度の世界に。


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30分と与えられた時間の間にいかに表現してそれに価値を見出してもらう、そんな擦り切れるるようん現場至上主義で毎日唄をうたっている。でもそれになぜか違和感をおぼえていた、そんな時昔先輩に話された事を思い出した、佐賀のツアーミュージシャンだったとある先輩がツアー意味ないやめた、と昔屁理屈を言ってそれっきり佐賀に篭りきってしまった。その時は折れてしまったんだな、負けたんだなってずっと思っていた(そもそもその先輩は偏屈で変わり者、事の真意を見せてくれない人だったから言っている事があまり理解できていなかった)。この間ふとした時にそのツアーをやめた事について書いたブログを読んだ。そこでやっとわかった、次の新しい音楽を作るという方向に舵をきっただけなんだなって。それなら最初からそう説明してくれれば良いものを本当に屁理屈な人だと改めて思った、けど伝えようがないし決意表明なんて伝えたところでの話で、そして今まさに同じような事で考え立ち止まっていた。でもあれはクソだと投げ捨てていくことにも違和感を感じていた、折り合いをどうつけるか見つけたい。

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2019.10.06 未明 扇町公園
今回の関西放浪は休みの日をつくっていた。扇町の天六商店街を歩く、老若男女、たまに国籍も違う人がいたり様々な人が無数に各々の時間をつかっている。コンビニでコーヒーを買って昼間の扇町公園を歩いた、まだ日差しが少しだけ熱い。この街の人々のささやかな憩いを見た、本を読んでる人、子供と遊んでる親子、スーパー玉出の弁当をかき込みながらスポーツ新聞を広げる老人。自分の目線で今見ている日々は間違いなくあの地下の音が鳴り響くハコが異空間なんだと証明してくれている。こんな当たり前のこと、書くまでもない事だけど実感した。当たり前のことだけど自分達がいるクリエイティブな世界は少しこの場所とは違う、もっと混沌として灯をさがすような場所でそこに潜み住まう人々も然り。そこに支配されている人もいるし抜け出せない人もいる。日常との距離感が違うんだと思った、それこそ僕等旅人のうたうたいが抱えていた欠落した部分を映し出していた気がした。日常の温度をずっとずっと側で感じれているはずの僕達が忘れてしまっていたスタンダードな在り方。各々の生き方をしていい世界で見落としていた事は本当に単純で純粋そのものだった。あの地下で起きている事象を唄にしていきてそれを誰かに突きつけていくのは、ここに来てはじめて自分がこれから向かいたい方向とは違うんだなと実感した。






2019.10.07 AM2:00
ずっと歩いている、お腹も空いてないし喉も乾いてない。でもすっぽりと空白が体の中にある。重たい機材を抱えもう何時間歩いたかもわからない、知らない街の知らない駅に辿り着いてしまって目的地まで歩きはじめたのは遡ると0:30頃の話だ。阪急正雀駅に辿り着いたのは不測の事態だった、京都の河原町から乗って大山崎駅からJRに乗り換えて天満に向かう予定だった。油断しきっていた、こっちでの住み込み生活も慣れ始め私鉄の乗り換えもだいたいわかっているつもりだった。そんな状況で河原町から電車は出発したが自分が長い居眠りをしてしまう事は計算にいれてなかった。目覚めた時には車掌さんに起こされた、ここはどこかもわからなくて慌てて窓の外をみたら見たこともない駅名の所に来ていた。それが最終駅の阪急正雀駅だった。途方に暮れた、静かな住宅街の中にポツリと自分だけがいて、ほかの乗客は足早に帰路にむかっていた。こんな時に限って携帯電話もタブレットも充電が切れていた。カバンの中を漁ったらお客さんからもらった缶コーヒーと煙草1箱。所持金は少なく歩いて帰る方法以外なかった。始発を待つにしてもそれを潰すほどのなにかがなかった。そういった経緯で歩きはじめたのは良いけども、もちろん知らない街で土地勘もなく思いついた方法は天神橋筋6丁目駅まで各駅を訪問、線路を目印にして歩いて行くというやり方だった。

以前淡路駅から天神橋筋6丁目駅までは約1時間程で着くという話を聞いていたので多く見積もっても2時間程だと予想していた。夜空は晴れていて秋の夜の気候だった、歩いていたから少しも寒くなかった。こんな風に夜と歩くのは珍しい事でもなんともなかった、よく思い詰めて歩いたし、平気だった。上新庄駅についた時、重たい機材を降ろして少し休憩をした。貰った缶コーヒーのプルタブを弾いて飲んだ、煙草に火をつけて久々に呼吸したような気分に浸った、別に無呼吸で歩いていたわけでもないのに。束の間の休息でぼんやりと今の自分を客観的に見て異常な状態だなと思った。そういえば旅立つ前に「ちゃんとするんだよ」って言われてて、全然ちゃんとできてませんごめんなさいと思わず溢した。

いったい何しに来たんだろう自分は、片道分のお金しかない状態で飛び出して。無鉄砲で無計画な自分とはとっくの昔におさらばしていたはずだったのに一周まわって今こうなら今日までの日々は意味がなかったのかな。その為にいくつもの大切だったものを無くして来たなと振り返ってしまった。今年26歳、生きていた環境はバンドマンだらけでソロの人間で親しい人は少なかった。生まれた街佐賀県のミュージシャンとは仲良くなれなかった。とにかくみんなと歩きたくて、同じ土俵で頑張って生きたくて仕方なくて、地元を背負う諸先輩方の姿に憧れて、その為にはやく追いつかなきゃと必死になって僕は放浪して現場を知って行こうと動いて来たはずだった。缶コーヒーを飲み干して、思考が邪魔してくる前にまた歩き始めた。でも歩けど歩けどその道のりが無限のように感じた。こんなに晴れた夜なのに頭の中には違う夜があった。


そもそも仲間達は音楽に対してひたむきに向き合っていた、でも僕は誰かと一緒にとか、地元がとか、この場所でおこなわれる事での楽しみを見ていたし。いつも比較して勝手に落ち込んで仲間内にはいれなくて落ち込んだり、相手にしてもらえない事に腹を立てたり。自分は一体なにと向き合って生きてきてたんだろう。振り向いてほしくて必死こいて、それでいていつも期待以上のことはできなくて自分の事を失望して。一喜一憂して。そのうち好いてくれる人も道中見つかって充分なくらい満たされていたはずだったのに、それでも劣等感が勝ってしまって足を止めることができなかった。逃げる事をしてしまったら今まで払ってきた代償がすべて無駄にしてしまうような気がしてもう立ち止まれなかった。そのうち歩けば歩く程背負うものや守りたいものも増えてきて。ああでもそこは以前通り過ぎた、結局自分の歩く道にそぐわなくなってしまってなにもかも中途半端に終わらせてしまったり、傷つけてきたり。今更大事にできなかった事を思い出して何になるんだろう。でもそれらの出来事の語尾にいつも『音楽の為』とつけていたならば、本当に向き合わないといけない事というのはもっと沢山ある気がした。

もうどこの出身とかもいらない、認められるとかもいらない、一々そんな僕は僕でありたい。こんな風に感情植え付いていたのはきっと誰かからもらった「あなたでいて」だった。
もっと歩かなきゃ、生きていかなきゃ。


淀川を超えたとき僕の知っている街の灯りが見えた。



つづく。

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