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良いことをしているつもりだったんだ

 今でもたまに映画を観に行ったり、酒を酌み交わす大学時代の友人がいるのだけれど、彼がいいなぁと思うのは、「とりあえず払っておくね」をサラリとやれるところである。

 たとえば今いるお店が混み合ってきた頃合いで、さぁそろそろ出ますかとなって、レジまで行って「支払いは別々で」と言うのは、どうしても気が引ける。ただでさえお店が忙しい時に、一人の店員さんを会計に長々と付き合わせることが、自分の中では申し訳無さが勝るのだ。

 その点彼は気が利く人で、スマホなり財布を取り出してとりあえず、が出来るし、こちらが払っておくことを提案しても「いやいや申し訳ないんで!」などと引き止めることもない。ひとまずどちらかが払っておいて、レシートをもらい、店を出て落ち着いた所で二人で精算する。それが出来る経済力と、周りの状況を見据えて働いている人の気持ちになって行動が出来る。とても育ちが良いのだろうし、一緒に食事をしていてストレスがない。こういう人に見捨てられないような人でいたいと、思ってしまう。

「せめて釣り銭出ないように払えよ」とか思っちゃう

 ただ、こうしたやり取りをする度に、必ず思い出す過去があって、たいていそれはズキズキと鈍い痛みを発するものである。

 大学に入学して半年かそこらで、女性とデートをさせていただく機会があった。一緒に映画館に行って、少し遅いランチを二人で食べていた。緊張していたけれど、わりと会話も弾んでいて、開始はぎこちなかった自分の態度も少しずつ軟化していたように覚えている。

 元より食べるのが早いほうなのだけれど、その日は彼女のペースに合わせようと、ゆっくり食事に手を付けていた。経験則が少ないので、自分ばっかり喋らないように気をつけて、聴き上手になろうと徹する。自然体を装っておきながら、実のところは余所行きもいいところで、気になっている女性の前なのでどうしても良く見られようとしてしまう。

 そんな中、お店が混んできた。先程から新規客が引っ切り無しに来店して、待ちの人も増えてくる。そうなるとまるでそうプログラムされていたかのように、食べるスピードが早くなる。話すよりも食。余裕があるように見せかけていたはずなのに、急に忙しなくなる。

 その様子に彼女も気づいたのか、「何か急いでる?」と聞いてきて、当時の私は咄嗟に「お客さん増えてきたし、早く出たほうがいいのかなって」と返してしまう。気づいた時はもう遅く、先程まで笑顔だった彼女は、虚をつかれたような顔をしていた。

 「そうだね。気が利かなくて、ごめんね」と彼女。

最悪。

 しまった。一度口から出た言葉は差し戻せない。

 自分はお店に気を遣ったつもりで、目の前の彼女に恥をかかせ、楽しい時間を自分で蔑ろにしてしまった。最悪だった。色んな失敗をしてきたけれど、これは時折夢に見るくらい、未だにトラウマになっている。

 愚かにも当時はそこからリカバーもできず、少しだけ急いて目の前を料理を片付けた後、「出よっか」と言ってくれた彼女の目を見れなくて、その日はあまり印象のいいお別れが出来なかったし、彼女を見かける度にその光景を思い出すのが辛くて、自分から逃げ出して、結局のところ疎遠になってしまった。こんな意気地なしもそうそういないだろう。

 一体いつからこんなに周りを気にして、目の前の一大事を見逃す癖がついたのだろうと、今でもぼんやり思う。仕事でもそういう節があるし、人間関係はなおさらだ。相手を大事にしているフリだけ上手くて、中身が伴っていないことを、たぶん見透かされているような気がする。善人ヅラをするのが上手な私は、きっとたくさんの人を傷つけてきている。

 もう少し自分勝手に生きてみてもいいのに。そう思っても中々実行できず、いい格好のスキルツリーだけ伸び切っている私は今日もいらんことをして、身内を白けさせてしまった。こういう失敗を積み重ねて、またあのデートの日の自分を思い出すのだ。

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