第1410回 流星から溢れた女性の輝き
1、読書記録328
今回ご紹介するのはこちら。
平田陽一郎2023『隋−「流星王朝」の光芒』中公新書
会田大輔『南北朝時代ー五胡十六国から隋の統一まで』
に続き、中公新書の中国史の世界にどっぷりつかることができました。
2、輝く女性史
隋といえば我が国では聖徳太子が小野妹子を派遣した遣隋使がすぐに想起されます。
その相手方は本書の後半の主役、煬帝です。
ですが、煬帝まで到る前半部分も詳細で、かつ興味深い記述の連続でした。
そして最も印象的だったのは女性の果たした役割について。
煬帝の父、楊堅は娘の楊麗華を主筋である北周の皇帝、宣帝に嫁がせます。
彼女は夫にも父親にもただ従順なタイプではなく、
しっかりと後宮の女性たちのまとめ役を果たす一方、
宣帝の虫の居所が悪い時に譴責されても臆することがなかったと言います。
さらにすごいところは父が簒奪に向け暗躍していることを知ると
協力するどころか、反発すら隠そうとはしなかった、というのです。
易姓革命が起こって父が皇帝になってしまったら
自分は皇帝の母たる国母の地位から単なる一皇女に格下げになってしまう、そんな思いもあったのではないか、と著者は推定していますが
なかなかできることじゃないですよね。
彼女の孫にあたる女性のお墓が発掘されているそうなのですが
わずか9歳で亡くなったその人物には数多くの副葬品があり
「外祖母周皇太后」が養育していた、という墓誌があったことが紹介されています。
周が滅んで、何年も経っていたのでしょうが
彼女のアイデンティティは北周にあったのだ、と著者は指摘しています。
もう一人取り上げたいのは楊麗華の夫宣帝のいとこに当たる
千金公主。
彼女は中華の北方、モンゴリアの覇者であった突厥の王、摂図に嫁ぎます。
遊牧民族にはレビレーション婚という風習があり、
生母以外の後宮の女性は次代の王が継承する、というものです。
これによって王の正室は代を経るごとに存在感を増していくことになります。
北周から隋へと権力が移譲していく中で
突厥との外交戦略が転換し、独自の戦略で動く千金公主が邪魔者になり、名指しで彼女を始末するように、と言われるようになります。
突厥の王、4代に仕えた義城公主は夫を動かして、煬帝の正室と遺児を保護するのみならず、亡命政権の樹立まで後押しします。
それもやがては力尽き、滅びるにあたって唐が要求したのは煬帝の正室も遺児も命は助けたのに、義城公主の首のみ。
そして煬帝の母、独孤伽羅。
夫の楊堅は結婚に際して彼女以外と子を成すことはない。
と宣言し、その言葉通り5男5女を設けます。
宝石にお金を使うくらいなら兵士の賞与に使うべきだ、という発言をしたり
いとこが罪を犯しても忖度なしで死罪を与えるよう指示したりと
正しさを重んじ、政治にも関与する賢い女性でした。
しかし、夫が誓いを破って浮気をすると、歯車が狂い始め
自分が世話した正室を蔑ろにし、側室に子供を産ませた長男を疎んじるようになります。
そこに付け込んだ次男が煬帝でした。
質素倹約を旨とし、そばに使える宮女は正室の他は老女数人のみ。
まんまと後継者の地位を得た、ということになります。
次代を担う、唐の創業にも強い女性が見られます。
初代皇帝李淵の娘、平陽公主。
自ら一軍を率いて戦場に現れ、その糾合した軍勢はなんと7万にも及んだと言われます。
3、支えられてこそ
いかがだったでしょうか。
日本の戦国時代でも、女性が果たした役割が大きいことが注目されていますよね。
最近だと今川義元の母、寿桂尼などが挙げられるでしょうか。
やはり夫に先立たれて、一部の権力を代行するという形が多いのでしょうが、
生前からその支えがあってこそ、偉業を成し遂げられた、ということも少なくないでしょう。
最後にエピローグで紹介された、長く生き延びた煬帝の正室が
唐の太宗皇帝をやり込めた一言も含めて、
戦乱の時代を生きた強い女性たちの魅力は色褪せないですね。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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