第1189回 縄文時代の交易と洪水とサメ

1、読書記録253

本日ご紹介するのはこちら

宮城県文化財調査報告書第255集
 北小松遺跡ほか
 ―田尻西部地区ほ場整備事業に係る発掘調査総括報告書―

平成19年度から22年度に実施した北小松遺跡・愛宕山遺跡・諏訪遺跡・宮沼遺跡の成果をまとめたもの。

すでに全国遺跡報告書総覧にも掲載されています。

https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/search/item/99770?all=北小松遺跡&sort=publish_date%3Ar


ちなみに図版の出典は全て報告書からの抜粋です。

2、三つの論点

「総括編」というだけあって、論点はいくつも抽出されていますが、個人的に興味がひかれた話題だけかいつまんで紹介します。

まずは縄文時代の遠隔地交易。

遠隔地交易


 遠いモノとしては

ネフライトという新潟県糸魚川周辺で採取される石材を用いた小型磨製石斧。これは県内の他の縄文時代遺跡からも出土が確認されているので、一定程度需要があって運ばれてきたものと考えられます。

ちょっと不勉強でその価値がわからないのですが機能的に優れているのでしょうか。

アオトラ石という北海道日高地方で産出される材料も確認されています。

こちらも沙流川歴史館・アイヌ文化博物館の学芸員、森岡健治氏のコラムによると

「アオトラ石」は見た目の美しさのほか、適度な粘りと研磨のしやすさに特徴があります。そのため、擦切り石斧や磨製石斧の製作に適しており、折れにくさもあります。

とのこと。


http://www.hk-curators.jp/archives/3154

そこまで遠くでなくても珪質頁岩は日本海側から奥羽山脈を越えて運ばれてきていますし、

黒曜石の9割は湯ノ倉産、一部は岩手県北上地域や山形県月山、一点のみ長野県星ヶ塔産という分析結果も。

粘板岩は後世の石碑同様、石巻地域のもののようですし、

装飾品に用いられる緑色石英質岩は最上地域、ヒスイは糸魚川周辺、

接着剤として用いられるアスファルトは新庄盆地や鳥海山麓だと推定されています。

縄文人のネットワークの広がりに改めて驚かされますね。
 

二つ目は大規模洪水の痕跡。

北小松遺跡が所在する大崎低地北縁部では東西10kmにも及ぶ範囲で洪水の痕跡が確認されているとのこと。

弥生時代洪水



放射性炭素年代測定の結果、弥生時代前期から中期の年代が想定され、縄文晩期に利用されていた水辺が洪水で埋没したため、生活領域が高いところに移っていくという変動が描写されています。

仙台平野でも2600~2300年前には洪水が多発していたとされることと概ね整合しますので、広域的に水害の多い時期だったということでしょう。

最後にとても珍しい遺物を一つ紹介します。

それはサメ歯装着具。

サメの歯 写真


 木質の柄に溝を掘り込み、底に漆でアオザメの葉を膠着し、表面にベンガラを混ぜた漆を塗布したものと推定されています。


 類例としては
 ①北海道恵庭市の西島松5遺跡では縄文時代後期後葉の墓壙からサメの歯16点が基部を揃えた状態で一列に並んで出土。

 ②札幌市N30遺跡では晩期後葉の墓壙からサメの歯が3㎝の間隔を空けて2列に並んだ状態で出土。

という出土状況から意図的にサメの歯が配置されている、つまり軸部が腐食して歯だけが不自然な形で並んでいる、という事例があるようです。

また、③ポリネシアの民俗例にサメ歯を装着したこん棒があるそうで、それを元に復元がなされたようです。

サメの歯

3、論点抽出は千差万別

いかがだったでしょうか。

膨大な情報量の発掘調査報告書ですから、読む人の問題意識や興味関心で価値を見出す場所は違くて当然。

様々な情報を活用してもらってこそ浮かばれるというもの。

今後も文化財調査報告書の内容を少しでもとっつきやすく発信できればと思います。


最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

  


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