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第489回 復元と写し

1、日本刀レビュー 第10回

100号もネタがあるのかと茶化しながらもあっという間に10号ですね。

noteでレビューをすることを習慣付けたお陰で

忙しさにかまけて積ん読せずに一度は目を通すことができています。

このまま100号までいけるでしょうか。

2、天皇から大衆まで刀好き

さて巻頭の【日本刀ファイル】は

菊御作

なんと後鳥羽上皇自らが焼入れを行なったもののことを言うそうで、

現在10振りほど現存が確認されているようです。

鍔元に二十四葉の菊花紋の毛彫が施されていることが特徴で、

いくつかの流派が月番で刀を鍛えたので作風が異なるものがあるということ。

その中でも最も多かったのは一文字派でした。

茎に天下一を示すという「一」の文字を刻むことを特徴とする流派で、岡山県の備前福岡を拠点としていました。

掲載作は慶安四年(1651)に酒井忠清が4代将軍徳川家綱の使者として禁裏に出向いた際に下賜された逸品で、

代々老中を輩出した酒井雅楽頭家に伝来したとされています。

次の

【刀剣人物伝】

は細川忠興。

来年の大河ドラマ主人公の明智光秀の女婿としても注目される人物です。

戦場での活躍はもちろん、利休七哲の一人にも数えられる文化人としても知られています。

刀に関するエピソードも数ありますが

最も有名な歌仙兼定について。

歌仙とは和歌の名人「三十六歌仙」のこと。

なんと自ら36人の首を刎ねたことから名付けられたということです。

様々な異説がありますが、そのうちの一つは隠居後に

息子の藩政に不安を抱き、従わない家臣を招いて粛清したときのことだとされています。

一体いくつの時なんだ?

36人一斉に?

謎は深まるばかりですが

実はこのこの刀は細川家に代々受け継がれ、

累代の宝物を管理する永青文庫に今も納められています。

特別に公開されたときは話題になりましたね。

丁度我らがミヤギのお屋形さま、伊達政宗公と同年代ということもあり

ゆかりのエピソードも数多いため、親近感がありますね。

【日本刀匠伝】は

包永は鎌倉時代後期の大和国の手掻派の始祖とされる刀匠です。

手掻派の由来は東大寺転害門周辺に居住していたことに由来するとも伝えられています。

当初大和の刀の供給先は主に僧兵たちだったそうです。

これまた実用度が高い部類になるようです。

最も名高いのは先ほど取り上げた細川忠興の父、幽斎が

「児手柏」と名付けた太刀で、

徳川家康に献上された後、関ヶ原の戦いにも持参していたと伝わっています。

関東大震災で焼身となりますが、現在も水戸の徳川ミュージアムに収蔵されているとのことでした。

その名の由来はなんと万葉集に出典があり、

表裏で刃文の調子が違うことから

「奈良山の児手柏の両面にかにもかくにも佞人が伴」

ということを連想したようです。

古今伝授(和歌の秘伝)の継承者である幽斎らしいですね。

そして刀剣プロジェクトという幅広いファンからの支援を受けた

写しの製作が行われたことも話題になっていました。

その流れを受けてか

【現代の日本刀カルチャー】では

クラウドファンディングで写しを製作した「蛍丸」が取り上げられています。

「蛍丸」は南北朝時代の多々良浜の戦いにおいて刃こぼれしたものの

夢の中で無数のホタルが刀身に群がると刃が元どおりになったという伝説を持つ刀です。

阿蘇神社に代々伝えられてきましたが

戦後行方不明になっており、複数残っていた図面を参考に復元が行われたようです。

資金が当初の目標を大幅に上回る4512万となったのも話題になりました。

この他にも、近年の日本刀ブームを象徴するように様々な新たな挑戦が紹介されています。

3、独特の世界

いかがだったでしょうか。

クラウドファンディングを活用して焼身になった刀を修復するのはわかるのですが

「復元」というのはどうなんでしょうかね。

実物があるものをできるだけ忠実に写したものは

レプリカ

ということですし、

図面や記録から再現したものは厳密に言うと

文化財的には復元と言えるかどうか難しいところですね。

様々なレベルのものを一緒くたに「写し」と呼んでしまうと

わかりづらくなるような気がするのは私だけでしょうか。

それはそれで現代の刀工が技術の粋を尽くして製作する作品としての

価値は十分あるのでしょうけども。

これが刀の世界ということなのでしょうか。


本日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

ぜひコメント等お寄せいただけると嬉しいです。



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