第1429回 伊達家の可能性

1、読書記録333

本日ご紹介するのはこちら。

J・F・モリス2023『伊達家:仙台藩 家からみる江戸大名』吉川弘文館

地元の歴史を語る上で、押さえておかなくてはならない本ですね。

2、大きな一家

著者はオーストラリア出身で、本人曰く「東北の歴史を何も知らなかった(本書あとがきより)」のであえて留学先に東北大学を選んだという経歴を持ちます。

仙台藩関係の論文で英語で読めるものはいわゆる「伊達騒動」しかなかったので「これには何か深いわけがあるだろうと直感した」からテーマを設定した、と述べているように

その選択には知的挑戦の姿勢が見えてとても好感が持てます。

学生時代に東北を旅して回ったときに接した言説や、東日本大震災後の報道の非歴史性を感じたことなど

外の目からみた率直かつ深い洞察にも考えさせられることが多くあります。

こんな著者が研究の集大成的な本書を編んだことをまずは喜びたいですね。

本書は伊達家の歴代当主の人柄や事績を追うように叙述されており、

近世初頭の政宗・忠宗から伊達騒動あたりの記述については、体系的に整理されており理解しやすいものの、私自身もそれなりに勉強しているので大きな驚きはありませんでした。

一方で江戸の中後期以降は新たに接する事柄も多く、時代性を理解する大きな手助けとなりそうです。

具体的には5代吉村以降の財政政策とその効果について。

試行錯誤を繰り返しつつ、飢饉などの災害に振り回されて

さらには領内の庶民と武士階級双方の合意がないとうまく行かない、というパターンが何度も繰り返されることになります。

倹約政策を重点に置くと、下層の武士が生活苦に陥るとか

大阪商人に依存していたのに、信頼を失って困窮するとか

大名の側近や奉行たちの中には領国を見たことすらない層も一定数いるとか

そんあ紆余曲折を経て、為政者たちが「御家」という意識から領民たちを巻き込んだ「御国」という意識に変わっていく様がわかりやすく描かれています。

仙台藩は他の地域でよくある「豪農層から草莽の志士となり尊皇攘夷にはしる」という現象が見られないことが指摘されていますが

その理由を著者は

飢饉とそれに対する試行錯誤を通じて、大名・執行部と領民たちの間に一定の信頼関係を生み出していたから

と解きます。

確かに百姓一揆は代官達の非道を伊達家一門の領主層に訴える、という形で治っている例もありますし、

結果として大名が政策を転換し、奉行を解任することも多いですし、場合によっては隠居に追い込まれる場合もありました。

そして幕末の混乱についても著者は13代慶邦を高く評価します。

無理難題をわざと幕府に突きつける公卿たちと、徳川家の温存しか頭にない幕臣たちを見限った慶邦は、政治的混乱に乗じて外国が介入してこないように、北方・本州の領分の海防と奥羽地域内の政治的安定の維持に専念することにした。出口がみえない政争を遠ざけて日本国の安全と安定をえらぶ決断であった。

ちょっと引用が長くなりましたが、幕末の仙台藩を正しく理解するために重要な視点だと思います。

このような本道以外にもコラムとして書かれた部分も雑学的な面白さに溢れています。

例えば「大名たちの恋」という節では7代重村が15歳の若さで大名となったため、

奉行の柴田成義が「色欲の道」を慎むべき、というお堅い進言をしていると思えば

後継を望む重村の母、性善院が側室を進め

芝田康文という側近は「児小姓」ならどうか、と男色を提案する、という

はちゃめちゃな感じ。

後見人の田村村隆も心配して自分の女性観を書き送る?ということも。

後世に全て残されている、って怖いですね。

3、空気感だけでも

現代の為政者たちに対しても、報道のさわりだけ見ているとどうしても「なんでこんな悪手を…」と思ってしまうことがありますが

わずか200年、300年前の歴史を学んでいると

様々な背景があって、当事者たちも彼らなりの正義で、その都度判断をした結果であるのだな、と思えてきます。

少なくとも私自身にできることは、できるだけ相対的に物事を眺めて

時代の空気感を記録していくことくらいでしょうか。


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