第442回 知識のアップデートは欠かせない
1、読書記録68
今日ご紹介するのはこちら
本書は2019年時点での考古学の最先端を各分野の専門家が解説するもので、
非常にスリリングな講義が14も収められているという稀有の新書であると言えます。
編者によるはじめに述べられているのは
まず旧石器捏造問題について、まだまだ信用回復の途上であるとする姿勢は好感が持てます。
その上で、
放射性炭素年代測定の技術が向上したことや、
人間に対する遺伝情報の分析も大いに進展したことから
閉鎖的な学界の古い体質が確実に克服されつつあるという前向きさも表明しています。
自信を持ってオススメできる著作ですね。
2、目次
Ⅰ 旧石器・縄文時代
第1講 杉原敏之 列島旧石器文化からみた現生人類の交流
第2講 中山誠二 縄文時代に農耕はあったのか
第3講 瀬口眞司 土偶とは何か
第4講 瀬川拓郎 アイヌ文化と縄文文化に関係はあるか
Ⅱ 弥生時代
第5講 宮地聡一郎 弥生文化はいつ始まったのか
第6講 設楽博己 弥生時代の世界観
第7講 北島大輔 青銅器のまつりとはなにか
第8講 谷澤亜里 玉から弥生・古墳時代を考える
第9講 村上恭通 鉄から弥生・古墳時代を考える
Ⅲ 古墳時代
第10講 辻田淳一郎 鏡から古墳時代社会を考える
第11講 石村智 海をめぐる世界/船と港
第12講 池淵俊一 出雲と日本海交流
第13講 諫早直人 騎馬民族論の行方
第14講 北條芳隆 前方後円墳はなぜ巨大化したのか
とどれも題名を見ただけでワクワクするものばかりですが、
今回は2つに絞ってレビューをしたいと思います。
3、涙を呑んで二つに絞る
まずは、旧石器・縄文時代から第2講を取り上げます。
縄文農耕の研究史を先日この連載でも紹介した
鳥居龍蔵の打製石斧が土を掘るために用いたのではないかと考えたというところから振り返ります。
しかしこれらはあくまでも農耕に使われたであろう道具についての研究に過ぎず、
現代の技術で植物そのものを対象に分析ができるようになると大きな転換点を迎えたことになります。
具体的には土器の表面に残された窪みの中に、当時の植物が押し付けられた痕跡が残っていることがあるのですが、
そこにシリコン樹脂を注入することで型取りをして観察するという
レプリカ法。
これまでにシソやダイズ、イネ、アワ、キビ、ウルシ、ブドウなど多様な植物の痕跡がこの方法で見出されています。
特にダイズは原生種のツルマメから比べて時代を経るごとにサイズが大きくなるという、「栽培化症候群」の存在から栽培植物である可能性が高まってきたといいます。
これを「農耕」であると判断するかはまた難しい問題です。
縄文文化の独自性として著者が強調するのは栽培だけに依存せず、狩猟、採集、漁撈、組み合わせることで環境に適応してきたこと。
いくら栽培が盛んにおこなわれていたとしても「農耕社会」には結びつかないというのが結論のようです。
そして古墳時代から第14講を取り上げます。
全体を通じて、詳細なデータに基づきながら、先入観をぶち壊されていく快感を覚えました。
まず、筆者は巨大古墳を歴代の王が代々作ってきた墓であるという考え方には根本的に問題があると喝破します。
というのも、世襲制の王権として正当性を表明するためには、新しい古墳が先祖の古墳の規模を超えてしまうことがあっては「僭越」の極みであり、矛盾してしまうということ。
そして当時の日本列島の社会の生産力からして大いなる非常識な浪費であること。
これらの問題を一挙に解決する切り口は「ポトラッチ」
この用語は国家形成の前段階である首長制社会によく見られる制度で、
民に向けて常に指導者が富を再分配、つまり大盤振る舞いして支持をえるモノです。
つまり古墳を作るという作業の報酬として富を再分配することで社会の秩序を保ったという考え方になります。
そうすると、首長はその財産を一代で使い切るのが基本になりますので、
現在の古墳時代研究者の中では、指導者の世襲制は全くなかったとすら考えている人も少なくないそうです。
ここまでくると日本書紀を読み解いて王朝交代説とか唱えているのが可笑しくなりますよね。
この考え方がさらなる議論を呼んで新たな古墳時代像が教科書レベルにまで普及する日が待ち遠しくなりますね。
4、期待の先に
いかがだったでしょうか。
今回は2つしか紹介しませんでしたが、
他の講義も
考古学はここまで進展したのか
と気づかされるトピックばかりです。
ただ惜しむらくは歴史時代の考古学までは触れられていないこと。
奈良平安時代から、中世近世、さらに近現代まで
考古学が明らかにしてきた歴史像を紹介する続編がでることを願って。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?