第205回 長生きの秘訣は

1、戦国武将が繋ぐ縁

宇喜多秀家。

中国地方屈指の謀略家として知られた宇喜多直家の後継として岡山に生まれ、

豊臣秀吉の養子として厚遇され、若くして五大老に名を連ねていました。

関ヶ原の戦いで西軍の主力として戦ったため、敗戦後は死罪を免れ得ないところでしたが、加賀の前田家出身の妻、豪姫の必死の嘆願と、

一時秀家を匿った島津家の手前もあり、八丈島に流刑となったのです。

その縁から彼の命日に関連のある岡山、金沢などから市長クラスが集まって供養祭を行なったとの報道がありました。

400年もの時を超えて交流する原動力になる、それが歴史の魅力でもあります。

2、関ヶ原に参戦した武将で最も長生き?

さて、その秀家、流人としてさぞ苦難の反省を送ったかとお思いかもしれませんが

妻の実家の前田家や旧臣たちから援助を受け、島の人たちとも交流を深めるなど、意外と気楽に暮らしていたのかも知れません。

なぜなら八丈島で暮らした年月は50年を数えます。

関ヶ原で敗れた時には20代ですから、人生の大半を占めるのは島の暮らしです。

権謀術数うごめく戦国の世にあって、ストレスなく平和な暮らしが長い寿命の一因だったのかと思われます。

3、捨て童子と呼ばれて

そこで思い起こしたのが、松平忠輝。

徳川家康の六男として生まれ、長じては越後高田の領主として最大45万石の大名となりました。

なにを隠そう、我が松島に眠る伊達政宗の長女五郎八姫の婿どのです。

しかし、原因は諸説ありますが、兄である二代将軍秀忠に改易を命ぜられ、信濃国諏訪に幽閉されることとなります。この時、忠輝30代なかば。

それから結局諏訪から出ることなく、亡くなったのは92歳というから驚きです。

こちらも宇喜多秀家と同様、ストレスのない暮らしが長寿の一因と考えられるでしょう。

4、長生きの秘訣とは

現代もストレス社会と呼ばれて久しいですが、いかがでしょうか。

平均寿命はたしかに伸びましたが、ストレスにさらされている現代人。

以前のnoteでも紹介しましたが、飢餓や戦争よりストレスによる自死の数が多い時代です。

わずか二人の例ですが、戦国大名というプレッシャーから解放され、衣食住に困ることなく、好きに生きていることが長生きの秘訣であるような気がします。

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