第1086回 街道の合流地点に生まれたものは

1、読書記録208

今回ご紹介するのは

宮城県岩沼市文化財調査報告書第26集
原遺跡第1次調査ほか
―岩沼西部・北部地区圃場整備に伴う埋蔵文化財調査報告書―

平成28年12月に報道発表もされ、宮城県考古学会の遺跡調査成果発表会等を通じて情報は公開されていますのでご存知の方も多いかもしれませんが、


古代の「駅家」が発見された話題の遺跡です。

2、古代人のこだわり

第1次調査はほ場整備に伴って515㎡を調査し、掘立柱建物跡3棟、竪穴建物跡25棟、材木塀1列、溝跡13条、土坑と多数の柱穴が検出されています。

出土遺物の目玉はなんといっても円面硯。

円面硯

(図版の出典は全て報告書から)

円面硯実測図

古代といえど、文字を扱う階層は限られているので、文房具が見つかる、

ということはそれだけで公的な施設の可能性がうかがえるものです。

これが非常に珍しい形態だそうで、

近隣での出土例を集成した先行研究がいくつもありますが、

本資料の特徴を具備したものは皆無であり、陸奥国外からの搬入であることを強くうかがわせる。

とのこと。具体的には

 ・外堤部には二重に幅の狭い突帯がめぐる
 ・硯部内面には同心円状の当具痕が見られる
 ・脚台部には2条の沈線をめぐらし幅広い突帯を造り出す

という点が挙げられています。

報告者は類例を求めて各地の研究者の意見を問い、

東日本に多くの製品を供給している静岡県の湖西窯や猿投窯とは大きく異なり、東北地方にあまり供給例のない岐阜県、美濃須衛窯跡群との類似性を指摘しています。

これ以外にも東海地方や会津の大戸窯で生産された長頸瓶という須恵器など広域流通した製品が見られることから本遺跡が交通の結節点として機能していたと推定しています。

東日本には類例が少ない蒸気孔に桟を渡した土師器甑もあったようで

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米を炊くなら地元の炊飯器でないと!とこだわりを持っていた役人が詰めていたのではないか、というような妄想も働きますね。

3、街道を抑えたものが経済を抑える

そもそも「駅家」とはなにか。

一言で言えば街道を管理する役所で、

情報伝達を担って伝馬が配備されているような施設でした。

『延喜式』には全国402箇所設置されたとされますが、

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考古学的な調査がされたことは非常に少なく、東北では皆無といっていい状況です。

報告者は全国に視点を広げ、比較対象として

 兵庫県たつの市の小犬丸遺跡(布勢駅家)
 兵庫県上郡町の落地遺跡(野磨駅家)
 福岡県粕屋町の内橋坪見遺跡(夷守駅家)
 茨城県日立市の長者山遺跡(藻島駅家)

を分析し、次の共通点を見出しています。
 ①駅路に隣接
 ②外郭施設(築地・溝・柵)を有する
 ③文房具の出土 文書行政
 ④管理施設(正倉・厨・馬房)
 ⑤近隣に集落
 ⑥建物の主軸が真北方向

これらの要素を本遺跡も満たしており、

①の駅路はまだ未発見ですが、

玉前駅家と関連づけることに支障はないか、という判断が下されています。

4、道の変遷は時代をうつす

いかがだったでしょうか。

宮城県における考古学の分野の中では、古代の行政関連は研究が進んでいる方ですが

まだまだ新たな発見によって語られる歴史が塗り替えられていきます。

本遺跡の成果は確実に宮城県の古代史において欠かすことのできないものになっていくでしょう。

例えばこの遺跡の盛衰が街道の変遷に直結し、古代史の転換を示すことも想定されます。

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大きな街道の合流地点だからこそ賑わい、監視する役所が置かれたものの、

単なる通過点になってしまえば繁栄はかげっていきます。

今回はほ場整備で破壊されてしまう一部の調査で終わっていますので

将来的にはもっと情報が増えていくことでしょう。

それこそ駅路との関連も明らかになっていくといいですね。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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