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死にたくなったり、ならなかったり

どーも。ruggirlの木之元です。
なんやかんやしてたら今年も三角チョコパイの季節になったね。(やったー!三角チョコパイだいすき!差し入れは三角チョコパイがいいー!)
と思った矢先に三角チョコパイの季節が終わるね。(しょんぼり…)
要するに本格的に寒くなるということだね。

もう年の瀬だね。来年に持ち越さないように思い出話を今のうちに吐き出そうと思う。

今からめちゃくちゃ暗い話をする。心してくれ。

この間のレコ発の際に、小学校からの旧友が唐突に観にきてくれた。本当に嬉しかった。彼は本当に小学校から家に泊まりにきたり、意味もなく彼が住んでた団地の中を走り回ったりする仲であった。

彼に会ってから、僕はミュージシャンを志したときのことを何となく何となく思い出した。

僕がミュージシャンを本格的に志したのは中学1年生のころだ。僕の中学は二つの小学校が合併して構成されていて、イケてるグループの奴は小学校の時点でサッカーや野球やらで他校との交流があり、入学時点で友達が多かった。

入学当初、僕は他校との交流こそなかったし、
イケてはなかっかものの、所謂「ヤンキー」を気取っていた男の子と仲が良かったため、それなりに快適に過ごせていた。ヤンキー様様だ。

だが、ヤンキーは次第にイケてない僕をイジるようになってくる。中学生特有の残酷さと純粋さのちょうど交差するところに僕らはその当時いた。
今考えてみると、日常的にマジメくんがガキ大将みたいな奴にいじめられて鼻が陥没したりもしていた。それでもガキ大将は干されない。なんて残酷で恐ろしい構図の社会なのだろうか。

事件は夏頃の美術室にて起こった。

僕とヤンキーくんは同じクラスに所属していて、
もちろんその日も同じ授業を受けていた。
僕は昔から絵を描くのが好きで、そのときも授業に没頭中であった。

するとヤンキーくん(以下T嶋)がじっとできなくなったのか、T嶋の友達の周りをうろうろ歩くようになり、標的は僕になった。

「定規貸してくれよ。」
「僕今定規使ってるやろ。無理や。」

というくだりをT嶋は飽きることなく12〜3回ほど僕に仕掛けて絵を描くのを邪魔してきた。すると彼は「ウィ〜」と猿の鳴き声にも似たような奇声を発しながら筆を持つ僕の手を待ち、出鱈目に走らせたあとで僕の筆箱を取り上げた。

取り返しのつかない邪魔をされた僕はT嶋に腹を立て、「やめろって言うてるやろ」と初めて彼に大声をあげ、彼と取っ組み合いになった。
というよりも、殴り合いになり、僕はボロボロに負け、T嶋は他の先生によって別室に連れて行かれた。

その日僕は帰り道に「T嶋は僕と仲良くしていたのではなく、ただ歯向かわない僕を遊んでいただけだった」ということに気づき、一緒に歩く友人の5歩ほど後ろで泣きながら歩いた。

次の日から、T嶋やその友人らによる奇天烈ないじめが始まった。

まず、僕に対する挨拶は「肩を殴る」という暴力行為と置き換えられた。
挨拶が暴力で代替が効く時代だ。
あまりに凄惨すぎる。僕は何の意味もなく肩を殴られたり、背中を濡タオルで叩かれたりした。

そして、いじめは伝播してT嶋の手下のような学生からもいじめを受けるようになった。

当時、僕の中学校ではラップバトルが流行っており、教室のどこかしこでラップバトルが開催されていた。と言っても、有名なラッパー同士の即興のラップを覚えて脈略も無くぶつけ合うというオリジナリティに欠ける遊びだった。

少しお調子者のいじめっ子が、僕の席まで来てこう言った。

今からこいつとラップバトルしま〜す!

おい待て、まず同意がない。そんな約束をした覚えはないし僕はラップバトルのルールが分からない。あたふたしていると、面白がったいじめっ子どもが僕とお調子者を囲いだした。

顔からクエスチョンマークが飛び出ている僕にどこかで聞いたことがあるような単語の羅列で1分ほどディスを浴びせてきた。こいつはアホか。

思いの外、周りも盛り上がっていた。

皆アホだ。

ルール説明もないまま僕は「ここがお前の墓場ァ!」と締めのフレーズまで棒立ちで立っていた。
ルールも知らないのでこれで終わりかと思っていたが、お調子者がこう続けた。

後攻、清士朗〜!

本当に救いようのないアホってのはこの世界にいるもんだなと思った。同時にその現場を当時好きだった女の子が見ていたので、この世界に神様ってのはいないんだなとも思った。

ラップなんか聴いたこともなかった私はだんまりで、どんどんその場のハードルが上がっていく。

何かディスらなきゃ、何を?
韻を踏まなきゃ、なんで?

そういう禅問答の末に空気に耐えられなくなり、僕は意を決して口を開いた。

「アホォ…。」

自分でも情けないのだが、そのひと単語しか出てこなかった。その後5秒ほどの沈黙があり(世界で一番長い5秒だったと思う。)、すぐさま僕は「おもんないねん!」と振られた勝負に対して面白い答えが出なかったという理由で四方八方から肩を殴られた。
理不尽だ。いつかこいつらを何かしらでぶっ倒してやろうと思った。

その夜、風呂に入るとき姿見の自分を見ると肩が青黒くなっていた。

しばらくして、地元のお祭りの時期になった。
夏からはじまったいじめ生活により、疲労困憊していた僕はその日も教室で1人絵を描いていた。

まあ立てや。

いきなり僕の耳にヘラヘラとした声が刺さる。
顔を上げるとT嶋であった。最悪だ。
彼奴等は基本的に祭りの事しか頭にない。
倫理観や人権に対する感覚が備わっていない。

なかば無理やり起立させられた僕は空手をやっていたT嶋によりあっけなく大外刈りをかまされ転げさせられた。ここまでついてこられているだろうか。正直全くもって意味不明である。

すると、転げた僕の周りに5〜6人ほどが集まってきて僕を囲み、僕の四肢に祭りに使われるマフラータオルをくくりつけ、おもむろにセッティングをしだしたのである。もっと意味不明だ。

と、思った矢先にT嶋が「ピピーッ!」と訳のわからない奇声を上げた。笛の真似事である。

T嶋の合図により、彼の手下の様な連中は「ウォーリャー、ソーリャー」と意味のない言葉を発しながら僕をすごい速さで廊下を引き摺り回しだした。

今、自分で書いていても理解ができていない。人をだんじりにするというのは本当にどういう意味だったのだろうか。

2組だった僕はそのまま、数段の階段を滑り落ちたり登ったり、渡り廊下も越えて、好きな子のいるクラスも越えて、5組で降ろされた。

そもそも神様の象徴である山車を自らが見下しているクラスメイトで模するというのは果たして本当にだんじりが好きなのかということを思ったりした。

そして、埃まみれになった僕は笑いながら去っていくT嶋達の背中を見て、「将来こいつらより稼いでこいつらが二度とお目にかかれないようなツルツルの犬を飼ってやる。」と思った。その日、家でマキシマム ザ ホルモンの中2ザビームを泣きながら2時間ほど聴いていたのを昨日のように覚えている。

その辺から僕はなんとなくミュージシャンを目指していたなと思う。いまだに僕にとっては学校は辛い場所だし、彼らを許す事もきっとないだろう。(成人式に参加したときも彼に遭遇し、酒を飲まされかけ、薬を飲んでいるので無理だと断ると花束で顔を殴られた。)

僕は今たくさんの友達とロックバンドをしている。
こんな僕にも居場所はあった。(ライブハウスは居場所ではない。これはまたじっくり書く。)

学校が今辛い君もいるだろう。あいつらが悪いから別に君が死ななくていいし、行かなくてもいい。手首も切らなくていいし、許さなくてもいい。

いつかの君が楽しかったらそれで全ていいと思う。
今年ももう終わる。皆そろそろ来年のことを考え出す頃だろう。書もちゃんと持って旅に出てみてほしい。世の中には同志はたくさんいるし、君の居場所だってたくさんある。

もし無かったら、僕を使ってほしい。

好き勝手バンドを続けていくから、勝手に居場所にしていいよ。あと、いじめっ子はいつか何かしらの形でぶっ殺していいよ。武器は凶器以外ならギターでもなんでもいい。

来年はもっと幸せでありますように。
ほんなら、ばいばーい。

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