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海外赴任はいつも突然やってくる

マレーシアからハノイへ・・・

マレーシアに赴任して3年半ほどの歳月が流れ、色々な事がありました。
楽しい事も沢山あれば、辛い事もありました。

ようやく落ち着いた日々を過ごし始めた頃、ボスが私に言いました。
「たぁぼまるさん、ベトナムのハノイに開発の拠点を立ち上げる事を決めましたよ。今度はハノイに行ってください。」

私「そうなんですね・・時期はいつ頃でしょうか?」
ボス「早速、来週から行ってください。」

え?来週、うそでしょ

マレーシアを退去する準備もあるし、住んでいるコンドミニアムの引っ越しもある。なによりベトナムで住むところも決まってないですし。

ボス「それは総務で対応しますから大丈夫です。」
なるほどなあ。いつの間に、そんな準備が進んでいたんだろう。まあ、なんとなく気配は感じていた。

実は、これには前日譚がありまして、そもそもベトナム・ハノイへの進出を強く会社に訴えていたのは、私だったのでした。
これについては、別の機会に詳しく説明したいと思いますが、一言でいうとベトナムのソフトウェア開発者がとても優秀であることを実感する体験があったからでした。
日本でもこれほど優秀な若手の開発者にはなかなか出会えない、というほどの衝撃を受けて、もうベトナムに拠点を立ち上げるしかない、と思ったわけです。

とはいえ、会社には猛烈にプッシュしていたものの、そのときは自分でベトナムに行くとは思っていなかったんですよ。
昔からアレルギー持ちだし、なんとなくベトナムの気候は肌に合わない気がしていたんですね。
それに、私よりもっと良い適任者がいると思っていましたから。

ボス「マレーシアは後任者に任せて、たぁぼまるさんはベトナムの立ち上げに尽力してください。お願いしますね。」

このとき、マレーシア拠点は順調に立ち上がってはいましたが、少し仕事に行き詰まってもいました。
これはマレーシアに進出した日系の企業によくあるシンドロームと言いますか。
特にソフトウェア開発というバックオフィス業務は、マレーシアでは難しいと感じていました。

上でも少し触れましたが、ベトナムからオンサイトでパートナースタッフがマレーシアに来て働いていてくれたんですが、とにかく彼らが優秀だったんです。もちろん、ベトナムに進出しなくてもオフショアの一般的なラボ契約でアウトソーシングは可能です。

しかし、私はマレーシアでの経験を通して、現地で一緒に生活をして彼らの文化を理解しないと仕事も旨く行かない事を痛切していました。
ベトナムのメンバーと仕事をするならベトナムに行き、彼らと一緒に生活して文化を理解するべきだと思っていました。
チームビルディングは絶対にFACE TO FACEで一緒にやっていかなければ成功しない。

実はこのとき仕事が非常に忙しく、開発は深夜まで及ぶこともザラで、普通に休日も仕事をしていました。
「ベトナムに進出したら、優秀なメンバーを集めて、自分の仕事ももっと楽になるんじゃないかなあ。」
と感じていましたし、日本と海外の若いメンバー達に次世代のバトンを渡す。

うん、なんか楽しそう。

まとめ

こうして、私のベトナム赴任が決まったのでした。

時に2016年夏。それから1年半に渡ってベトナム・ハノイの地で奮闘することになるのですが、それはまた別の機会に。

簡単にいうと、ハノイは暑い・・・じゃなかった、熱い!
そこには、かつて日本人がもっていたもの、そして失いつつあるものがありました。一言でいって頼りになる仲間達。行って良かった。

Twitter:
https://twitter.com/turbomaru_hiro

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