たゆたい④

そんな感じで、目に見えない光を無意識のうちに発揮して振りまいてしまう人間だったので、彼の歩いた後には思いを寄せた女性たちの屍が出来た。女性たちは皆思い煩い盲目になった。

ある日、彼は言った。
「俺はふざけてるのは仮の姿で、本当は真面目なの。お前はその逆。ほんとうにバカ」
私はなんとなくわかっていた。彼がふざけたりするのは皆を楽しくさせるため。皆を笑顔にするため。皆に気を遣って、ココ壱のカレーやドーナッツをご馳走してくれたことがあって、まるで一家のお父さんみたいな一面もあった。仕事で残業続きでも、パワハラまがいの被害を受けても、彼はいつも明るく振舞っていた。だから、少し心配だった。
 
私は彼の部下としてその教室に配属され、慣れないながらも同じ空間で汗水を流して働いた。叱られることも多かった。楽しいことだけでなく、辛いことも多かった。
だけどそれでもその教室で、彼のそばでずっと働いていたいと思えたのは彼の魔力なんかじゃなくて、ただのぼせて浮かれていたからでもなくて、優しさに触れて彼の言葉に慰められたいという私のエゴだったのかもしれない。
 
その日は仕事で失敗をした。私の授業で生徒が騒いでしまって、進行が遅れた。私が静かにするように注意しても、言うことを聞いてくれず、イラついてしまった私が黒板を叩いて怒鳴ってしまった。授業もままならず、私は精神的に追い詰められて教室の雰囲気は悪くなり最悪だった。彼は私の授業を最初から最後まで、教室のドアの向こうから腕組をしてみていた。
最悪な雰囲気のまま授業は終わり、予想通り私は彼に呼び出された。
「ちょっとこっち来い」
彼は個別に私を面談室に呼んで、ここに座れ、と言った。そして、言った。
「お前、死ぬの」
思いがけない言葉だった。だって私はただ仕事で失敗をしただけだ。それなのにどうして生きるか死ぬかの話をするのだろう。おそらく私の顔は世界の終わりでもみたような顔つきだった。授業で失敗をして、おそらく生徒からもそんな印象を持たれ、私の人格が未熟な所為でこんなことになった。仕事がまともに出来ない私はこの教室にいる権利はない。この仕事は向いていないから、人間関係もリセットして退職を考えた方がいいかもしれない。
新卒のプライドが高すぎる温室育ちの甘ったれた脳みそはバグってネガティブな感情に支配されていた。目の前で起こってしまった事件を解決するよりも、ただしんどい、恥ずかしい、この場から逃げて布団に潜り込んで眠ってしまいたい。
私のそんな心情を見透かしたように彼は死ぬの、と問いかけた。私は黙って机の一点を見つめて黙りこくった。彼の言葉に肯定も否定もできず、フリーズした頭で次の言葉を机上に求めた。情けなく、小さな子どものようだった。黙りこくる私を見かねて、彼は言った。
「俺は、母子家庭で育ったんだぞ」
思いがけない言葉に、私は黙ってしまった。言葉をみつけられないままでいると、彼は教室を出て行ってしまった。
私はいつもこうなのだ。伝えたい感情があっても、大事な場面に限って緊張してしまって言葉にして上手く伝えられない。きっと、呆れられてしまっただろう。家に帰って、お腹が痛くなって布団の中で悶々と考え続けた。
あの時、どう言葉をかけるべきだったのだろう。布団の中で答えが見つかったとしてももう遅い。嫌われてしまったかもしれない。社会人にもなってだんまりを決め込むなんて嫌だ。自己嫌悪の負のループにはまって、その日は一晩中布団の中で蹲っていた。

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