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老い - 「日本と日本人への10の質問」

さて「日本と日本人への10の質問」、「教育」に続いては「老い」。初見の2007年当時はイマイチピンと来なかった「老い」との言葉、アラフィフとなるここ最近になって、心身共に「老いた(加齢)」と感じることが増えてきていて、、なにより、老眼(鏡)を手放せなくなっていることでいっそうの実感を深めています。

■ 老い

自分が自信を持ってできることを選んでいき、それ以外の事は潔く捨てていく過程

出典:「日本と日本人への10の質問」 / 『文藝春秋(2007年7月号)』収録

「老い」ではなく「年を重ねる」と読み替えれば、私は「責任、そして自信の自覚」かな、と思います。

年を重ねていくと、自分に「できること」と「できないこと」は分かれていくと思いますが、必ずしも自信を持ってできることとやりたいことが純粋に合致するわけでもないとも思います。

かといって「好きであってもできないこと」を潔く捨てていく、というのもなかなかに難しい心境かと。それとも「好きだけどできないこと」を抱えきれなくなっていくのが、「老いる」ということなのでしょうか、、

であれば多少は理解出来ますし、少し前から(書籍の)断捨離を考え始めてるのも「老い」ている過程にいる、からなのかもしれません。コレ、もう少し重ねると「終活」なんて言葉も意識するようになるのかな。。

誰にでも通用するメソッドなんてつまらない

出典:「日本と日本人への10の質問」 / 『文藝春秋(2007年7月号)』収録

個人的には、「徐々にできることを増やしていく」のが「年をとり」、「老いていく」過程と考えたいところ、たとえ下手の横好きでも好きな事を切り捨てていくのは寂しい、そんな理想論に囚われているだけなのかもしれませんが、、

できるから好きになるし、それが生きていく上での自信にもつながる。一方で、好きだからできるように続けていく、「生きがい」としていくのであれば、どちらであってもよいのな、とかも考えながら。

老いなんて考えずに、それまで生きてきた自分に自信をもって、やりたいことをやればいい

出典:「日本と日本人への10の質問」 / 『文藝春秋(2007年7月号)』収録

「老い」ていくことは止めようがないので、少しでも遅らせるために健康を維持していくには、、頭も指も身体も、日常的に使っていかないとなぁ、なんて、今の職場のお元気な高齢者の方々を拝見しつつ。

いつか行く道であることには変わりないので、いろいろと学ばせていただこうとも考えています。とりあえずは、ボケ防止に、頭と指の運動とか、日常的な運動とかは、重ねて行かないとですかね、、日常的なアウトプットも継続しながら、でしょうか。

なんであれ、生涯、何かしらを学ぶことは続けていきたいなぁ、なんて思いながら。「老い」についてはこんな感じで、さて次は「エリート」ですか、、自身とはほど遠い言葉ですが、さてどうなりますか。


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